リファレンス
墨蹟の読みや出典などのお問い合わせと、その回答を掲載します。
更新日[2011/9/15]墨跡読み
竹圃和尚について
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讃は賢江祥啓 (啓書記)の絵にあります。読みは大体分かりますが竹圃叟と落款が不明です。
建長寺の竹圃和尚(室町時代 c1500年)の経歴と資料は有りましたら教えて頂ければ幸いです。
また、この二人は同時代の人でしょうか。
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添付いただきました写真を見せていただきましたところ、署名の部分、「前福山竹圃叟聖珪賛」と判読しました。
竹圃聖珪という僧侶であれば、京都の東福寺の『慧日山東福禅寺宗派図』に発見できました。
……虎関師錬-竹翁師泊-月川師濟-東岳師昇-竹圃聖珪
という法系です。ただ竹圃の後は法系が途絶えているようです。
残念ながら、彼らの生没年が不明なので、同時に生存していたかどうか、確たることは申し上げられません。
賢江祥啓は、室町時代の画家であることは分かっており、1478年に上京したことや、1480年に「観爆図」(重要文化財)を描いたことがわかっていますが、竹圃聖珪が記載されている『慧日山東福禅寺宗派図』でも、名前が列記されているだけで、生没年など詳しいことは一切記載されていませんし、他に伝記の類を見つけ出すこともできていません。
法系で最寄りの禅僧は、虎関師錬(1278-1346)で、そのあとの竹翁師泊、月川師濟、東岳師昇、竹圃聖珪については、現時点で伝記を探すことができていません。ただ、推測として、虎関師錬から下ること5代であるので、およそ同時期になる可能性はあると思います。
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「雲門普」について
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大徳418世 松月老人書の「雲門普」という墨蹟がありますが、これについて御教示ください。
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書を確認していないのでわかりませんが、大徳寺418世と仰るので、宙寶宗宇(松月老人と称す)の書による「雲門普」という語の出典についてお尋ねかと思います。
これは、雲門文偃禅師の『雲門広録』という語録の「對機三百二十則」の中に、「問如何是正法眼。師云普。」とある部分がそれにあたると思います。
「雲門の一字関」といい、雲門禅師は修行者を導くのに、わずか一字で禅の要旨を言い表されることが多く、その宗風をしめすのですが、この「普」というのも一字関の一つで、上記の出典の通りに出て参ります。
つまり、修行者が「正法眼(お釈迦様がお悟りになって開かれた智慧の眼)とはなんでしょうか」と問うたところ、雲門禅師は「普」とお答えになったわけです。
普とは「あまねし」という意味ですから、「広くゆきわたる」とか、「とてつもなくおおきい」ということだと思われます。
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大徳418世 松月老人書の「雲門普」という墨蹟がありますが、これについて御教示ください。