公益財団法人 禅文化研究所

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調査研究

オウム真理教問題研究会 第5回研究会

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アンケート II に表明された問題点の検討

各教団からよせられた現在の布教活動の実態報告に基づいて、布教活動に関する「何」が再検討されるとともに、前回の研究会において提言された他の二面の「何」に関しても、その実施を計るにともなう諸問題が改めて検討された。
この検討を通して出てきた基本的な問題点は、各教団が教団組織としての自覚を明確になしえず、従って、組織としての機能をほとんど発揮していないということである。例えば教団にとって最も重要であるはずの布教活動一つにしても、
(1)各組織の中枢(本山)が所属寺院の布教活動の実態をほとんど把握していない。従って、(2)中枢の活動と末端の活動との間に緊密な連携はなく、組織的・統合的な活動はなされていない。ましてや、(3)各教団間において今日の布教活動の諸問題が真剣かつ継続的に検討されるというようなこともなく、各教団で同じような活動が各々バラバラになされている。
といった在り様が明らかになった。

各教団が行なっている布教活動の主なものをあげれば、(1)組織活動としては、所属寺院住職および寺庭婦人の研修会、寺院総代および役員の研修会、本山への団体参拝、布教師研修会および各寺院への布教師派遣、詠歌大会の開催、各種機関誌の発行、各教区における派内寺院の安居会等研修会の開催などがあり、また(2)各寺院、本山の活動としては、暁天講座および坐禅会の開催(本山)、各種団体の坐禅研修の受け入れ(本山)、居士および大姉の参禅修行の受け入れ(僧堂)、子供坐禅会・写経会等の開催(本山および各寺院)などがある。特殊なものとしては、諸地区における歳末助け合いの托鉢や、南禅寺派佐賀県協議会青年部が行なっている少年院慰問などが報告されている。これらに似たボランティア的な各種の布教活動は各地区で展開されていると思われるが、各教団はそれらを把握しておらず、当然また、組織的な支援等もしていないのが現状である。

各教団における諸活動には、それなりの工夫と努力がはらわれている。しかし、それら種々の活動も思いつきの域をでず、そこには、それら諸種の活動を通じて各教団が現代社会の何を問題とし、現代人に何をどのように示そうとしているのかという、布教活動の基本的目標の明確化と総合的戦略の策定が決定的に欠落している。この事は、例えば布教師派遣のために各寺院が檀信徒の聴衆集めに必死になっているという本末転倒の奇妙な状況にも、また、各種の坐禅会が数多く開かれているにもかかわらず、坐禅したいと思っている一般人にはその情報がほとんど届かず、坐禅に関する基本的事項の解説と全国坐禅会案内が掲載されている『坐禅のすすめ』(禅文化研究所刊)もほとんど活用されていないという実状にも現れている。このような布教活動の実態は、各教団が今なお教団として社会に存続していることの意味を十分に自覚化しえていないことを暴露しており、そこに、各教団ともに現代の布教活動の基本指針を策定しえず、臨黄各派に関する正規の英文案内および坐禅に関する正規の英文解説一つ作成しえない根本原因があると思われる。

このような臨黄各教団の場当たり的で現状維持的な活動状況に対して、前回の報告でも少し触れたように、各教団の青年僧たちは、各地区を中心に例えば「臨済宗青年僧の会」などのような諸種のグループを教団の枠を超えて結制し、もはや教団を頼らず相互の横の連携を深めながら自らの力で新しい活動を展開しようとしてきている。しかし、全国に散在するこれらのグループも自主的参加による任意団体なるが故に、その組織力および財政力には自ずから限界があり、その多くは、地域に根ざした新しい運動を意欲的に展開継続することに困難をきたしてきており、中には親睦会に変質したものもある。

以上のごとく、臨黄教団の布教活動は、各教団の組織の面においても、その限界を乗り越えようとする諸種の試みの面においても、現状においては行き詰まり状態にある。かかる現状を打破して宗門に真の活力を呼び覚ますには、各人における禅僧としての在りようの見直しと共に、この場合には、社会に教団を形成している教団人としての自覚が求められる。教団人として何をなすべきか、その大略については、前回研究会の報告の中の「教団としての何」および「対社会活動としての何」において一応の提言をなしているが、なお付け加えて注意を促したいと思われることに以下の事項がある。すなわち、
 
禅宗は「己事究明」を本旨とする宗教であり、これを学び修するのに、例えば救世主たる神の子イエス・キリスト、あるいは阿弥陀仏と浄土の存在といったような、何らかの前提(根本信条としてのドグマ)を設けぬ宗教である。この意味において禅宗はドグマなき宗教である。この「直指人心」という特質は、もはや素朴に神仏の存在を信じえない現代人の心情に直接に働きかけていける特質である。アメリカ人はアメリカ人の、日本人は日本人の、各々が各々の問題を通して禅宗の宗旨に触れて行くことができる。現にかかる特質の故をもって、禅宗は世界のZENに脱皮しつつある。この特質とこの現実を宗門人が如何に自覚するかは、現代社会における禅宗およびその布教活動を検討する上で非常に重要な事と思われる。
 
坐禅をしたいと希望する者には、先ずは各種の禅会の情報が的確に伝わるよう、各教団が協力しあって全国的な情報公開の対策をこうずる必要がある。これを実施するにあたって整備しなければならない事としては、前回の報告にも触れたように、1.各教団内および各教団間において希望者の段階に応じた受け入れ体制を整えること、2.各教団において希望者を適当な会に案内できる受け付け機関を設けること、3.各教団が協力して、坐禅指導のための基本的テキストならびに指導書(邦・英両文)を策定すること等がある。
 
多くの禅僧は教団人としての人脈と修行仲間としての人脈、いわば縦と横の双方の繋がりをもっている。この両面が一致する場合もあるが異なる場合も多い。これは伝統的な修行形態に由来するものであるが、この両面が地域的そして全国的な今後の布教活動の展開に積極的に生かされることが望まれる。各教団は、自らの行き詰まり状態を打破し相互に協力して布教活動を展開するためにも、特に教団人の持つ横の繋がりを重要視すると同時に、各教団が宗派意識を超え協力しあって、各地域に見られる青年僧たちの横の繋がりに何らかの具体的支援をなす方策をたてるべきである。
 
現代社会では人の移住は日常茶飯事となっており、それにともなって、移住先で頼るべき寺院が分からず悩む人も多い。臨黄教団はこの現実に対応するシステムすら確立させていない。各教団は協力しあってこの現実に対応しうる全国的なシステムを早急に構築する必要がある。このためにも、上記(3)の事柄は重視されねばならぬ事となる。