公益財団法人 禅文化研究所

English Site

  • 調査研究
  • 刊行普及
  • 資料収集
  • ソフトウェア

調査研究

オウム真理教問題研究報告 3.なすべきことは何か

このエントリーをはてなブックマークに追加

II.研究討議を経ての見解

3.なすべきことは何か

「われわれ」は、上記のごとく、「オウム事件」を通して現代という時代にひそむ文化的・ 社会的な病巣を見てきた。「オウム事件」はいずれ終息をむかえるであろう。しかし、それで「オウム事件」によって暴露された現代の病巣が根本的に切除されるわけではない。我々が現代の文化・ 現代の社会に「息苦しさ」を感じている限り、「オウム問題」は解決されず、種々の形態をとって、第2第3の「オウム事件」は起こりうる。「オウム問題」は依然として我々の、そして「われわれ」の問題でありつづけている。

かかる問題に対して「われわれ」は何をなすべきであり、また何をなしうるか。「われわれ」はこの事について、先述のように、総計8回にわたって検討をかさねてきた。そして、「われわれ」がなすべき、またなしうる事の具体的な提言を「オウムの一般信者」に対する緊急対応策と共に、〈第4回研究会〉および〈第5回研究会〉の報告として纏めて提示した。それをここに改めて記す必要はもはやないと思われる。しかし、上記のごとき「オウム事件」および「オウム教団」についての見解と「われわれ」の提言とがどのような関係にあるかについては一言しておく必要があると思う。

「われわれ」の提言の根本は、平田老師の発言にもあったように、各々が「誠実に禅僧の日常生活を尽くして行く」という、その処に真に立脚しなければならないということである。一住職を取り巻く問題は無限にある。提言でも触れたように、布教教化活動をもふくめての檀家の問題、後継者教育をもふくめての寺族の問題、経済をもふくめての寺院運営管理の問題などなど、また、一方には所属教団の問題もある。しかし、これらの諸問題一切を何処からどのように整理し解決して行くかと言えば、結局のところ、一禅僧という己が在りように立ちもどらざるをえない。問題が大きく重大なものになればなるほど、禅僧が禅僧としての立場を明確にするという、この一見あたりまえの事が決定的に重要な事となる。ただ、禅僧としての在りように立ちもどり、禅僧としての立場を明確にすると言っても、その立ちもどりと明確化は、それによって諸問題の解決がはかられる方向にということであって、あたかも現代の諸問題がなかったかのように古い習わしを墨守するということではない。平田老師が、原則としての僧堂と応用としての寺院ということを掲げられたのも、恐らく、この点をにらんでの事であろう。「われわれ」が、看経・坐禅・作務という禅僧の伝統的な生活スタイルを掲げながら、寺族の問題、布教・教義の根本的見直し、教団組織の改革などの提言をなすのも同じ意である。自らの身辺を整えつつ仏法の何たるかを「行」として自身の体で示す一方、その事の意味とその事が指し示している世界とを改めて自らにも、そして現代社会の大衆にも、よく理解でき納得できる思想的表現をとって明示することが必要である。この行的体現と思想的明示の両輪がそろって始めて、真の超越とは何かが実質的なものとして現代世界に、現代人に提示されうるであろう。

いま一禅僧として「四弘誓願」の生活をなすということは、現代世界に真に新しい超越的世界を開示することを意味し、超越的世界を喪失した近代ヒュウマニズムの悪しき業縛にあえぐ現代人に、その業縛を真に打破し超え行く方向とはどういうものであるかを示し、近代ヒュウマニズムの求める「自由、平等、博愛」が真に達成されうるのは如何なる基盤においてであるかを明示することを意味する。いま現に我々は、人間としての救いを求めて「オウム教団」に入り、却って非人間的・ 魔的な境に迷い込んだ人々を目のあたりにしている。しかし、我々が対決しているのは単に一つの事件としての「オウム事件」ではなく、近代人がその歴史の中からつむぎ出してきた現代の文化・ 現代の社会の魔境である。現代人のだれもが「オウム教団」のごとき類似の狂信的カルト集団に迷い入る可能性を秘めている。この危うい現代世界の中に仏衣を着て住まう者には、「四弘誓願」の世界を実質的なものとして示す使命が課せられており、「オウム事件」によって犠牲となった人々の菩提を弔う義務がある。そして、この使命と義務の遂行は今後ますます重要性を増し、社会的要求としても強まってくるであろう。この事を思い自らの実情を顧みるとき、「われわれ」は、先に提言した事柄の一つひとつがそれぞれの場において誠実に検討され可能なものから速やかに実施されることを願わずにおれない。しかし、そのような実施遂行も、現状の組織体制のままでは、一つの方針を打ち出すにも種々の限界が感ぜられるのではないかと思われる。 

この故に、「われわれ」は以下のごとき一つの提案をもってこの報告を終わりたいと思う。すなわち、臨黄教団に共通する基本的な問題、例えば後継者の育成および寺族に関する問題、現代の教義および布教に関する諸問題などを継続的に一貫性をもって根本的かつ総合的に研究し、もって改革を推進して行く、そういう一定の権限をもった研究機関を臨黄教団の総意として設けるということである。この研究機関は、例えば当研究会のごとき任期のある各教団役員の集合によって形成されるのではなく、各教団から派遣されたこの任務に専従できる適材と研究に必要な他の人材をもって構成される必要がある。

「われわれ」は、この提案が即効性のない、あまりにも迂遠なものと受けとめられるでもあろうことを承知している。しかし、われわれが対峙している問題の正体と、「われわれ」自身の在りようとを顧みて、この提案の意義が各立場で真摯に認められるよう願ってやまない。現代社会も「われわれ」自身も根本的に病んでいるのである。
 
<<1.「オウム事件」とは何か
<<2.「オウム教団」とは何か