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新編 白隠禅師年譜
芳澤勝弘 編著
A5判/上製本/752頁
定価:本体5,000円(税別)
発行日:2016/03/10
大観文珠によって刊行された『白隠年譜』は、禅師生前に東嶺によって編まれた『草稿』を刪訂したものである。
本書は、より記述内容の豊かな『草稿』を主として『年譜』を従とし、さらに禅師の仮名法語や語録、墨蹟、東嶺年譜や同時代の原宿の記録等を合わせて再編成した。
人名・寺名・地名・項目の索引付。
[書籍を読む]をクリックすると冒頭部分をサンプルとしてお読み頂けます。

【もくじ】
はじめに

新編 白隠禅師年譜
◆貞享乙丑二年(一六八五)一歳
誕生・父方の杉山家/母方の長澤家/母、霊夢を見て妊む/三男二女
◆貞享丙寅三年(一六八六)二歳
◆貞享丁卯四年(一六八七)三歳
三歳にしてようやく立つ
◆貞享戊辰五年、元禄と改元(一六八八)四歳
「小夜の中山」を暗誦する
◆元禄己巳二年(一六八九)五歳
世の無常を観ずる
◆元禄庚午三年(一六九〇)六歳
◆元禄辛未四年(一六九一)七歳
法華経を覚える/異僧休心坊/休心坊の教え/◆ケンペル、原宿を通る
◆元禄壬申五年(一六九二)八歳
◆常休庵が燃える/◆ケンペル、ふたたび原宿を通る
◆元禄癸酉六年(一六九三)九歳
◆元禄甲戌七年(一六九四)十歳
◆元禄乙亥八年(一六九五)十一歳
岩次郎の性格/昌源寺で地獄の話を聞く/風呂の湧き上がる音に畏怖する/天神を信仰する
◆元禄丙子九年(一六九六)十二歳
天神を信仰する/普門品を暗誦/鍋かぶり日親の操り芝居を観る/出家の志がきざす
◆元禄丁丑十年(一六九七)十三歳
柳澤の大岩で坐禅
◆元禄戊寅十一年(一六九八)十四歳
均首座について素読を習う
◆元禄己卯十二年(一六九九)十五歳
松蔭寺で出家する
◆元禄庚申十三年(一七〇〇)十六歳
大聖寺の息道和尚/法華経に疑いを抱く
◆元禄辛巳十四年(一七〇一)十七歳
単嶺和尚の遷化
◆元禄壬午十五年(一七〇二)十八歳
◆父のために安名を乞う
◆元禄癸未十六年(一七〇三)十九歳
大聖寺から禅叢寺へ/岩頭和尚の末期を聞いて煩悶
◆元禄甲申十五年、三月十三日、宝永と改元(一七〇四)二十歳/瑞雲寺の馬翁和尚/温馬山/『禅関策進』に出会う/古人刻苦、光明必ず盛大なり/母の死/ひとり馬翁のもとにとどまる
◆宝永乙酉二年(一七〇五)二十一歳
洞戸の保福寺へ/はびこる不生禅/岩崎の霊松寺へ/伊自良の東光寺へ
◆宝永丙戌三年(一七〇六)二十二歳
若狭小浜の常高寺へ/伊予松山の正宗寺へ/『仏祖三経』を師とする/大愚(雲居)の墨蹟を見る
◆宝永丁亥四年(一七〇七)二十三歳
正宗寺から福山天祥寺へ/福山天祥寺から岡山へ/西宮海清寺で坐禅/西宮兵庫から浪速へ/伊勢から美濃の瑞雲寺へ/瑞雲寺で馬翁和尚の看病、魔境の体験/瑞雲寺を辞す、檀家の寿桂尼のこと/富士山の大噴火/噴火のさなか、松蔭寺で坐禅/英岩寺の長首座の噂を聞いて、越後へ
◆宝永戊子五年(一七〇八)二十四歳
越後高田英岩寺へ出発/二月、英岩寺での苦修行/遠寺の鐘声を聞いて大悟/大慢心となる/信州正受庵の宗覚が来参する/宗覚の見識/宗覚から正受老人の名 を聞く/宗覚、慧鶴を誡める/飯山の正受庵へ/正受老人に初めて会う/正受老人に入室を許される/南泉遷化の公案/陳操登楼の公案/碧巌五十一則の頌/堂 外に叩き落とされる/托鉢中に悟る/母の夢を見る/無相心地戒を受ける、松本の慧光院に行く/五位偏正を請益す/正受老人の口をふさぐ/正受老人の垂示 /正受庵の後継を託される/同参の者たちが越後から来る/正受庵を辞す/松蔭寺に帰る
◆宝永己丑六年(一七〇九)二十五歳
遠州能満寺と菩提樹院へ/菩提樹院で道樹宗覚と再会/禅病発症の時期についての問題点/禅病の徴候があらわれる?/◆今泉法雲寺の荊林和尚に臨済録開講を願う/今泉法雲寺で荊林和尚の講筵を助ける
◆宝永庚寅七年(一七一〇)二十六歳
宝泰寺の碧巌録会へ/◆清泰寺和尚に『息耕録』評唱を乞う書/宝泰寺で道樹宗覚に変尽の口訣を聞く/禅病発症の時期に関する問題点/禅病によって廃人のよ うになる?/霊松寺で白幽仙人のことを聞く?/白幽子に会う?/松蔭寺で内観の法を修める?/松蔭寺で坐究/結成寺の節首座/白幽子訪問はフィクション
◆宝永辛卯八年、四月十五日、正徳と改元(一七一一)二十七歳/菩提心無き者は尽く魔道に堕す/佐倉の養源寺へ/煙管問答/宗円寺の鉄髄和尚に参ずる/駿河に帰り、息道和尚の看病をする
◆正徳壬申二年(一七一二)二十八歳
息道和尚の遷化/禅病の予兆
◆正徳癸巳三年(一七一三)二十九歳
松蔭寺/遍参への思い/伊勢の建国寺へ/途次、菩提樹院に立ち寄る/建国寺の虚堂会、古月禅材のうわさを聞く/鈴鹿峠での体験/京都で古月の噂を聞き、訪 ねるのをやめる/若狭円照寺へ/河内の法雲寺へ/泉州信田の蔭涼寺/禁煙を誓う/寿鶴道人/◆『夜船閑話』の白幽子のモデルは寿鶴か/◆蔭涼寺の後住への 誘いを断わる
◆正徳甲午四年(一七一四)三十歳
◆台岩老人/◆『諫言記』を書く/寿鶴道人との別れ/◆京都に滞在/美濃の保福寺へ/岩崎霊松寺の禅堂に掛錫
◆正徳乙未五年(一七一五)三十一歳
禅病の発症/白幽子の存在を知る?/白幽子に会う?/内観の法を修める/美濃虎渓山・岩瀧山/宗淳道人/岩瀧山でしばしば異常心理を体験/◆跋上座と再会
◆正徳丙申六年、六月二十二日、享保と改元(一七一六)三十二歳/岩瀧山での刻苦修行/◆岩瀧山茅斎記/◆濃陽富士山記/◆七尾山帯解地蔵記/関山国師の逸話を聞く/実父が病に臥す/実家から迎えが来て帰郷する
◆享保丁酉二年(一七一七)三十三歳
正月、松蔭寺住職となる/松蔭寺の荒廃ぶり/松蔭寺の寺男/一僧が来参/庄司六郎兵衛の参禅/慧発が来参/父が逝去/◆「観音点眼」の法語/◆本陣の渡辺平左衛門の逝去
◆享保戊戌三年(一七一八)三十四歳
紹岩玄隆と長光寺へ/鉄髄玄紹/『破相論』を講ずる/庄司幽徹/◆「永明鉄船和尚」記/白隠と号す
◆享保己亥四年(一七一九)三十五歳
『五家正宗賛』を提唱/◆現存するもっとも最初の達磨像
◆享保庚子五年(一七二〇)三十六歳
馬蹄和尚/陽春主諾和尚の碧巌録会/◆十月、万休慧長和尚の遷化を悼む
◆享保辛丑六年(一七二一)三十七歳
慧休が弟子となる/正受老人が示寂/二十人が掛錫/◆大中寺聯句への跋
◆享保壬寅七年(一七二二)三十八歳
『原人論』を講ずる/◆正旦示衆/◆大中海衆盆山題詠序
◆享保癸卯八年(一七二三)三十九歳
腐った味噌を食する/夢に地蔵菩薩が託宣、荊棘叢に坐せ
◆享保甲辰九年(一七二四)四十歳
◆春、半鐘を作る/◆『布鼓冊』の製本をする/博山警語を講ずる/◆単嶺和尚二十五回忌/◆遊仙石記を書く
◆享保乙巳十年(一七二五)四十一歳
徹宵坐禅の毎日/母が鏡をもたらす夢を見る/◆秋山総左衛門に道号を与える/◆「猫の巻物」を書く/◆濃陽の的禅人を送る
◆享保丙午十一年(一七二六)四十二歳
コオロギの鳴き声を聞いて大悟/◆達磨画賛/◆江戸月桂寺から『仏光国師語録』を取り寄せる
◆享保丁未十二年(一七二七)四十三歳
庄司家のお察/お察の機鋒/◆『荊棘叢談』に見えるお察の逸話
◆享保戊申十三年(一七二八)四十四歳
石井玄徳と杉澤宗信/◆性山祖竺二十五回忌/◆生鉄素崙和尚の遷化を悼む
◆享保己酉十四年(一七二九)四十五歳
比奈の一公三伯/◆『維摩経』の講義を断わる/普門品を講ずる/◆東海道を象が通る
◆享保庚戌十五年(一七三〇)四十六歳
『寒林貽宝』/道樹宗覚が示寂/杉山政女/◆松蔭寺の庭を造る
◆享保辛亥十六年(一七三一)四十七歳
『四部録』と『寒山詩』を講ずる/比奈の石井玄徳
◆享保壬子十七年(一七三二)四十八歳
住庵の者二十有余人/◆鉄船和尚十七回忌香語/◆明石大蔵院の大解宗脱、はるかに白隠を思う
◆享保癸丑十八年(一七三三)四十九歳
真言宗の快俊和尚/『禅門宝訓』を講ずる/『神社考弁疑』を読む/◆単嶺和尚三十三回忌/◆陽春主諾の肖像を画く/◆「老仙号説」/◆「帰一禅寺経蔵記」
◆享保甲寅十九年(一七三四)五十歳
鍾山と良哉が来参/◆「石井居士に寄する」書/◆八幡陣屋の野賀権太夫/◆手習い手本を書いて与える
◆享保乙卯二十年(一七三五)五十一歳
『虚堂録』と『禅門宝訓』を講ずる/江国元周と仙彭禅寿の入院を祝う/◆雲山和尚の隠居を訪れる/◆陽春主諾の遷化/◆綾部家の過去帳の序を書く/◆三明禅寺経塚の銘/◆庄司六郎兵衛方で蕎麦の振る舞い/◆妙心寺の無著道忠に教えを乞う
◆享保丙辰二十一年、四月二十八日、元文と改元(一七三六)五十二歳/『維摩経』『碧巌集』を講ずる/僧堂を建てる/一人の東海路上を過ぐる無し/観音寺の僧堂と庫裡ができる/◆春、江戸湯島天神の門前で遠羅天釜を買う/◆六月、植松藤四郎の死を悼む
◆元文丁巳二年(一七三七)五十三歳
東伊豆の臨済寺/◆碧巌録会開講の偈/◆仏生日示衆/◆稲取清光院/◆安久の秋山家/◆夏、松蔭寺に戻る/◆豊前の虔禅人/◆お察に「看病の要諦」を説く
◆元文戊午三年(一七三八)五十四歳
◆馬翁和尚像の賛/◆大乗寺で『碧巌録』の残講/備前の文忠/◆秋、阿部川義夫の一件/◆稲瀬時国を送る文
◆元文己未四年(一七三九)五十五歳
◆二月、仏涅槃示衆/◆二月、植松与右衛門の傘寿を祝う/◆六月二十五日、石井玄徳宛書簡/◆大休慧昉の来参/八月十六日、安久の秋山家へ/◆秋山家の隣 家の老人に安名/◆虔禅人の亡母三回忌/十月五日、来春の虚堂録会が発起された/◆比奈で『息耕録開筵普説』を草す/◆少林忌、庫裡を造る
◆元文庚申五年(一七四〇)五十六歳
虚堂録会に四百名が参集/◆開筵示衆/豊後の原訳、やりこめられる/◆二月十五日、仏涅槃示衆/◆秋、鎮守廟を再建/◆冬、無我省悟の『一心妙戒経』を閲す/◆野田次郎左衛門重常が木魚を寄付
◆元文辛酉六年、二月二十七日、寛保と改元(一七四一)五十七歳/掛搭者が次第に増える/甲州桂林寺行きの準備/◆一月末、籠坂峠を超え甲州に/◆吉田の 月江寺、一乗寺を経て桂林寺へ/◆桂林寺で碧巌録を開講/◆碧巌録開巻示衆/◆二月十五日、仏涅槃示衆/会中、一僧の驕慢を摧く/霊岳座元の来参/◆猿橋 妙楽寺の禅水和尚/◆夏、禅水和尚の三仏像に賛を書く/◆天倫寺の円桂と宝福寺の大休が帰郷/◆十一月下旬、『寒山詩闡提記聞』序/道果(東嶺)、白隠に 参ずることを思う
◆寛保壬戌二年(一七四二)五十八歳
◆道果、白隠に参ずることを決心/梵治の慢心をくじく/甲州景雲山主霊岳の験長老が再参/龍潭寺の拝請を受ける/◆八月、遠州龍潭寺へ出発/遠州龍潭寺で の禅門宝訓会/◆実相庵十王像の点眼/◆谷津矢畠新橋の化縁/◆三谷胤美/◆十月五日、慈恩寺の湖峰宗佐像の賛を書く/原訳、白隠の帰りを待ち構えて所見 を呈す
◆寛保癸亥三年(一七四三)五十九歳
◆道果(のちの東嶺円慈)が来参/◆『息耕録開筵普説』刊行を準備/『大慧武庫』の提唱/◆秋山術友の道号説を書く/◆円慈、見解を呈す/松蔭寺の後継候 補に玄極があがる/夏、信州の劫運和尚が来参/◆玄極、秋田に帰る/秋、庫裡の造作にかかる/『息耕録開筵普説』の刊行経緯/◆円慈、近江に帰る/円慈、 近江の智脱を白隠に参禅させる/◆円慈、「大鉗鎚を求むるの文」を作り、白隠に呈す/十二月、庫裡が落成する
◆寛保甲子、二月二十一日、延享と改元(一七四四)六十歳
『息耕録開筵普説』開講/円慈、閉関室に入る/甲州初狩の自徳寺から維摩会開筵を督促される/◆冬、『闡提毒語心経』を上梓/十月、北伊豆の帰りに林泉庵で『川老金剛経』を講ず/◆十二月、「冬日書懐」/◆円慈、郷里に母を省す
◆延享乙丑二年(一七四五)六十一歳
甲州初狩の自徳寺で維摩会/桂林寺蘭室の三回忌、嗣法の香語/宝林寺で『寒山詩闡提記聞』を講ず?/◆朝気の光正寺、甲府の積翠寺/◆阿難坂、迦葉坂、精 進湖を経て松蔭寺に帰る/法華会の請を受ける/◆道果の帰省を送る/旗本の井上平馬、白隠に延命十句観音経のことを伝える
◆延享丙寅三年(一七四六)六十二歳
源立寺で『法華経』を講ずる/◆法華宗の老尼の質問に答える/◆羅睺阿修羅障弊日月辯/円慈が見処を送って来た/◆江戸で俳友と会す/◆浅草蔵前の伊勢屋 に逗留/◆東淵寺で貞永寺和尚から『大燈録』の提唱を依頼される/◆『寒山詩闡提記聞』の上梓/甲州笹子の宝林寺で『寒山詩』を講ずる/観音十六羅漢像を 描く/◆『寒山詩』講了示衆(宝林寺)/石林寺で『法華経』を講ずる/能成寺を経て駿河に帰る
◆延享丁卯四年(一七四七)六十三歳
◆清梵寺で般若会/織田信茂が来参/◆雲山祖泰が示寂/◆九月三日、「諫言記」を清書/◆松岡の瑞林寺で『臨済録』を提唱/飢饉で修行者が分散/◆庵原の柴田権左衛門と山梨平四郎
◆延享戊辰五年、七月十二日、寛延と改元(一七四八)六十四歳/◆蓮池藩主鍋島直恒と大洲藩主加藤泰衑/山梨平四郎の参禅/偏正回互の秘奥を徹証/◆東 嶺、『宗門無尽灯論』を執筆/◆岡ノ宮の常照寺で五家正宗賛会/◆会中、野田氏が素麺を供養/駿府臨済寺で円満本光国師二百年忌/◆正受老人像賛を書く
◆寛延己巳二年(一七四九)六十五歳
◆このころ姫路藩に百姓一揆/『槐安国語』を著わす/◆松岡文殊堂で『臨済録』を講ずる/◆池大雅、「達磨見梁武帝」図を描く/◆臨済寺で『見桃録』を閲 する/◆十二月、霊雲院刊『見桃録』を入手/◆十二月、白隠、円慈を印記する/◆十二月、鍋島直恒公の霊輿を送る/岩槻の雲門庵?/◆この年の執筆/◆こ のころまでに「隻手音声」の公案を創始した
◆寛延庚午三年(一七五〇)六十六歳
◆春、東嶺は江戸に滞在/庵原大乗寺で碧巌録会/◆『槐安国語』刊行間近/◆明石龍谷寺での虚堂録会が決まる/貞永寺で『槐安国語』を開講/◆碓叟全能像 に著賛/◆松茸画賛を描く/冬、播州明石の龍谷寺で息耕録会/◆明石大蔵院の大解宗脱/◆大解、白隠につっこむ/◆白隠、梁田蛻岩と会する/◆家老の小倉 公/◆池大雅の来参/◆十二月十三日、明石から書簡
◆寛延辛未四年、十月二十七日、宝暦と改元(一七五一)六十七歳/岡山少林寺/◆正月十七日、原へ書簡/井山宝福寺/◆庭瀬松林寺/◆播州路、宝林寺の大 燈国師遺跡/◆百丈山臨済寺/◆地福寺を中興開山する、楠田儀兵衛が迎える/◆姫路一揆の余韻/◆明石、岡山、京都で印可した人数/京都、世継邸/妙心寺 養源院で碧巌録会/大橋女/◆『近世畸人伝』中の人物と白隠/東福寺、宝鏡寺門跡、光照院門跡/◆三河正宗寺、磐田見性寺/◆宝鏡・光照両門跡への書簡、 『於仁安佐美』/庵原大乗寺で『碧巌録』を講ず/◆大乗寺から由比の林香寺へ
◆宝暦壬申二年(一七五二)六十八歳
◆『於仁安佐美』巻之下/東嶺の無量寺入寺/無量寺の落成法要/◆玄室宗実に片岡山達磨像を与える/南伊豆帰一寺で『仏光録』を講ず/「世継氏賑窮民図」を描く/◆南伊豆に三ケ月以上滞在/世継氏、七処の舎利を無量寺に納める/◆那須野さん女、白隠を訪ねる
◆宝暦癸酉三年(一七五三)六十九歳
春二月、無量寺の舎利を拝す/◆今泉の法雲寺で『五祖録』提唱、池田継政が来参/◆四月六日~九日、高月狸兄、松蔭寺を訪う/◆六月、菩提樹頂門和尚像賛 を書く/◆六月二十五日、山梨平四郎のために、澤水禅師像賛を書く/◆七月、石井玄徳の墓碑銘を書く/甲府能成寺で人天眼目会/甲府東光寺の毒語心経会 /福王寺・南松院・慈眼寺
◆宝暦甲戌四年(一七五四)七十歳
満七十歳を賀す/◆月次不明、池田継政が松蔭寺に立ち寄る/◆秋から冬(十月)、由比桃源寺で松源録会
◆宝暦乙亥五年(一七五五)七十一歳
春、駿州小島の龍津寺で維摩経会/◆二月十五日、龍津寺で仏涅槃示衆/◆龍津寺での揮毫/◆松平昌信に仮名法語を書き与える/円慈に本山登班を勧める/◆ 「眼病の妙薬」を書く/◆月次不詳、『祖英集』提唱/◆江戸の酒井勘太伯に書簡/九月、観音寺に秋葉三尺坊を勧請/◆東嶺の本山登班を喜ぶ/◆東嶺に自画 像を描いて与える/◆南伊豆の依田氏に書簡
◆宝暦丙子六年(一七五六)七十二歳
『楞厳経』を講ずる/四月、手越の高林寺で『大応録』を講ずる/◆四月八日、高林寺で大応国師像を描く/◆四月二十九日、「大応忌拈香」/◆五月一日、五 月旦上堂/江尻の慈雲寺、庵原の無量寺/このころ癰を病む/東嶺を松蔭寺の後嗣にしようとする/六月、松蔭寺に帰る/◆七月十六日、青野村光明庵の十王像 安座/◆八月、信州木曾福島の興禅寺から拝請/秋、安久持珠院で『大慧武庫』を提唱/◆十月五日、少林忌拈香(安久持珠院)/◆冬、東嶺に『般若心経注』 の執筆を命ずる/冬、木田元照が『荊叢毒蘂』刊行を発起/◆十二月、山梨平四郎の娘が/   観音像を刺繍し京都の両宮様に献上した
◆宝暦丁丑七年(一七五七)七十三歳
◆後嗣問題を嫌って、東嶺、京都へ逃げる/◆東嶺、白隠年譜を編集/◆二月、中津自性寺の定円正覚禅師像と/        「富士大名行列図」を描く /甲州南部の大福山建忠寺/下山の正福山南松院/◆梁田蛻岩の『荊叢毒蘂』序をことわる/大陸山宝珠院/◆飯島の西岸寺/◆六月二十五日、提州宛て書簡を 発信/◆六月下旬、提州宛書簡/◆『荊叢毒蘂』刊行の遅延/木曾福島興禅寺/◆八月十三日、東嶺に書簡/◆奈良井の大宝寺/◆瑞応寺で法華会/飯田の龍翔 寺、大雄寺、開善寺、三河大野の淵龍寺
◆宝暦戊寅八年(一七五八)七十四歳
美濃瑠璃光寺から拝請/◆高山宗猷寺から拝請/美濃瑠璃光寺へ/◆『荊叢毒蘂』刊行の進捗情況/濃州各地の巡錫/◆高山へ移動中の駕籠の中で『宝鑑貽照』 を執筆/飛騨高山で碧巌録会/◆六月十六日、『宝鑑貽照』の原稿を京都の提州に送る/高山から美濃へ/◆七月十三日付、提州宛て書簡/白子の龍源寺へ/◆ 「木田院碑」を書く/◆東嶺、龍源寺の鐘銘を書く/◆龍源寺岷山和尚に龍杖払子を与える/桑名天祥寺、尾張龍珠寺、白林寺/遠州高塚の地蔵院/◆冬、「卵 枢転の記」を書く/松蔭寺の後継問題、伊予の圭/龍澤寺用地を買収
◆宝暦己卯九年(一七五九)七十五歳
龍澤寺を開創/◆東嶺の帰還を促す白隠の書簡/江戸から拝請/『荊叢毒蘂拾遺』/江戸深川臨川寺/◆大田南畝、白隠を見る/湯島東淵寺/◆『藻塩集』と『延命十句観音経霊験記』/◆江戸滞在中、三十八人に印可/至道庵の買収
◆宝暦庚辰十年(一七六〇)七十六歳
東嶺の帰還を促す/龍澤寺で息耕録会/◆四月、東嶺が戻り、龍澤寺入寺/◆伊予松山藩主に書簡/龍澤寺の易地/熱海温泉、田種寺
◆宝暦辛巳十一年(一七六一)七十七歳
龍澤寺易地が終わり、寺基を開いた/◆春、江戸に滞在/◆三月、至道庵再興願書を執筆/◆浅草桃林寺で『碧巌録』を講ず、峨山慈棹が来参/◆『策進幼稚物語』の執筆/龍澤寺開山法要/◆十月『高山勇吉物語』を書く
◆宝暦壬午十二年(一七六二)七十八歳
春、湛蔵主が松蔭寺後継を主張/◆庵原大乗寺で『碧巌録』/至道庵の監護/澤田大中寺/御厨屋の青龍寺/松蔭寺の後継問題
◆宝暦癸未十三年(一七六三)七十九歳
正月、病に臥す/松蔭寺の後継問題、東嶺の調停/北伊豆巡錫/◆浜松法林寺で禅門宝訓会/江尻慈雲寺で『松源録』/応禅和尚の『関山国師別伝』/◆白隠末後の会を通達する/十一月、衰病再発/◆松蔭寺新鐘の勧募/白隠、節首座の夢を見る
◆宝暦甲申十四年、六月二日、明和と改元(一七六四)八十歳/東嶺、松蔭寺後継に慧牧を推す/二月十五日、『大応録』を提唱/慧牧首座、遂翁と改名、松蔭寺の後継に決まる/邪党の動き
◆明和乙酉二年(一七六五)八十一歳
正月、龍澤寺で舎利会/遂翁、松蔭寺を出て観音寺に退く/東嶺、江戸の至道庵へ、遂翁も後を追う/東嶺、至道庵で『臨済録』を講ずる、/       遂 翁、松蔭寺に呼び返される/東嶺も松蔭寺に帰る/白隠の健康管理について、/     東嶺と他の門下との間に意見の相違/東嶺、白隠に江戸行きを勧める /東嶺、江戸に戻って、至道庵を改修/白隠の江戸行きを阻む者たち
◆明和丙戌三年(一七六六)八十二歳
大衆総分散の榜を出すも、反対派は退散せず/白隠、江戸に向かう、反対派、箱根まで追いかける/江戸に到着/二月十一日、至道庵に入る/二月十五日、落慶 法要。東嶺が『碧巌録』を代講/亀戸の長寿寺/◆河島重蔵、白隠の健康を占う/七月、三島の福聚院から拝請/白木屋、青木大膳守、東北寺/栖雲寺、福聚 院、玉井寺
◆明和丁亥四年(一七六七)八十三歳
河島重蔵、白隠の健康を占う/◆三月、西島の光増寺で大燈録会/古奈温泉で湯治/◆九月、遂翁が「松蔭寺鐘銘」を作る/十月、龍澤寺で『荊叢毒蘂』を講ずる/◆巨幅の「寿字」を書く
◆明和戊子五年(一七六八)八十四歳
龍澤寺で迎春、元旦上堂/塩津古桂、白隠を診察/大平村徳楽寺/白隠と囲碁/疱瘡と床浦大明神/白隠、東嶺が等持院の請に応ずることを勧める/霊元院法皇 の尊牌、龍澤寺に入る/東嶺の各地巡錫/庵原大乗寺、興津清見寺/由比常円寺、一女子、白隠を抱いて温める/十一月、松蔭寺に帰り病臥す/遷化/東嶺、等 持院で弔を受ける/葬儀/跋/大観文珠の跋

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