2.禅の文化

禅の寺

宗鏡寺 -兵庫県豊岡市出石-

但馬の小京都といわれる出石にある宗鏡寺(すきょうじ)は、通称沢庵寺と呼ばれる臨済宗大徳寺派の古刹である。もとは東福寺派に属し、戦国大名山名氏の帰依を受け山陰唯一の伽藍を誇っていたが、羽柴秀吉の但馬攻めにより山名家が滅亡し、寺もまた荒廃した。...
4.スタッフ便り

タブラ奏者 アリフ・カーンのコンサート

9/18のブログでお知らせしたように、去る9月27日に、インドから若きタブラ奏者のアリフ・カーン氏が初来日し、京都市西京区の福成寺の竹林で、シタールの田中峰彦氏とのミニコンサートがあった。 コンサートを見に行くことにしたところ、今回の来日に...
各派管長・老師のことば

妙興僧堂 稲垣宗久老師を訪ねて

秋晴れの気持ちよいとある日、季刊誌『禅文化』の記事、-吾が師を語る-の取材で、愛知県一宮市にある妙興僧堂を訪れました。 稲垣宗久老師の師である、河野宗寛老師や挟間宗義老師について、お話を伺ってきました。 稲垣老師の飾らないお人柄、お話に魅了...
禅のことば

-南岳磨甎- えしん先生の禅語教室 その10

-南岳磨甎(なんがくません)- 世間の夏休みに倣って、私の禅語教室もしばらくお休みを頂きましたが、ようやく思索の季節を迎えましたので、また始めることにします。 前回には、六祖慧能に参じた南岳が、「説似一物即不中」と答えて六祖に認められた話を...

インド タブラ奏者 アリフ・カーン初来日記念コンサート 於:京都 福成寺

クリックしていただくと、大きな画面が開きます。 研究所にもよくいらっしゃるお坊さんのお寺にて、上記のようなコンサートがあります。 インド大好きな私は、900年も続くタブラ奏者の家系の貴公子がやってくるとあって、喜々としてでかける予定です。 ...
京都

大徳寺 曝凉のご案内

今年も10月の第2日曜日(雨天中止)に、大徳寺本坊において曝凉(掛け軸・宝物などの虫干し)展が開催されます。 さわやかな秋晴れの一日、禅寺にて、普段拝見する事のできない宝物をご覧になられてはいかがでしょうか。ご関心がおありの方は是非おでかけ...
禅のことば

第94回 大蔵会 於:花園大学

【第94回 大蔵会】 *どなたでも無料でご参加いただけます。ご来場お待ち申し上げております。 平成21年9月24日(木) 於:花園大学 法供養/午後1時より   記念講演/午後1時30分より        演題:『超仏越祖』ということ   ...
禅の寺

師匠について -八幡・圓福僧堂-

愚堂(ぐどう)国師の墨蹟撮影の為、京都府八幡市にある圓福僧堂を訪れました。 こちらの僧堂は、私の祖父が若かりし頃に修行をしていた僧堂です。 私が生まれる前に亡くなった祖父の事については、彼に反発していた父(寺は継いでいません)からはさほど多...
2.禅の文化

三重県名張市の木地師さん -加計仏具店-

よくお世話になっている恩人の案内で、素晴らしい木地師さんの仕事を拝見させていただきました。 “木地師”と聞くと、皆さんはどのようなお仕事を想像されますか? 私は一番に浮かぶのは、漆を塗る前のお椀やお盆などの原形を作る職人さんでした。 今回は...

山本玄峰老師のこと 2

高知県高知市にある、四国八十八カ所霊場・第三十三番・雪蹊寺(臨済宗妙心寺派)である。桂浜にほどちかい、このお寺を旅の途中で訪ねた。もともと真言宗であったが廃寺となり、戦国時代に四国全域を治めた長宗我部元親の手によって臨済宗の寺院として復興さ...
京都

天寧寺 -京都・曹洞宗-

天寧寺,金森宗和,後水尾天皇,東福門院,姫宗和,綺麗さび,寺町,額縁門
4.スタッフ便り

古墨跡は縁のある人を集めるのか

本ブログで、愚堂東寔書「雲門云関」という記事を書いたのは、今年(2009)4月24日のことだった。 それからちょうど3ヶ月して、研究所の私に一本の電話がかかってきた。 それは、インターネット検索していて、たまたま上記ブログをみつけたというあ...
禅のことば

外に求むること莫かれ -愚堂禅師墨蹟撮影行にて-

愚堂禅師の墨蹟撮影に東京へ出張した。 東京は関東大震災と太平洋戦争での大空襲におそわれて消失した寺院が多く、古くからの資料が残るところは少ないようだ。 今回撮影にいった墨蹟も、おそらく戦後に買い求められて所蔵されているものだと思われる。 「...
禅のことば

-説似一物即不中- えしん先生の禅語教室 その9

-説似一物即不中 せつじいちもつ、そくふちゅう- 今回の禅語は南岳懐讓(なんがくえじょう)が、六祖慧能を訪ねて行ったとき、南岳が六祖に向かって吐いた、有名な一句です。 南岳ははじめ嵩山(すうざん)の安和尚について禅門を敲き、坐禅に勤しんで禅...
京都

寳慈院 旧千代野御所

とある日、自転車での買い物帰りにいつもは通らない道を通っていると、老禅尼と禅尼が手をつないでご自坊を外から眺めて(何かを点検!?)おられた。 老禅尼がお歳を召されており、お御足の事もあるのかもしれないが、ぎゅっと手を握りあったそのお二人の後...