4.スタッフ便り

京都

日々是好日

好きでよく訪れますが、一日として同じ日はありません。 当たり前なのですが…。よく晴れた日の円通寺からのお山(比叡山)です。 左京区一乗寺にある、臨済宗妙心寺派、円通寺は、この借景庭園で有名ですが、最近このお寺のふもとの方で宅地開発が急激に進...

エローラ 仏教 -インド-

エローラの石窟群でもっとも古い(5~7世紀)、仏教の遺構をご紹介。 上写真は有名な第10窟。声も響くホールのようなつくりのチャイティヤ窟。 対するこちらはヴィハーラ窟。僧院・僧坊です。
4.スタッフ便り

赤塚不二夫さん

漫画家の赤塚さんが亡くなって、久しぶりに、氏の「茶碗蒸しとスプーン」の会話を思い出した。スプーンと茶碗蒸しが描かれていて、スプーンの吹き出しに「あなたもう寝ましょうよ」とある。それで私は心の芯まで愉快になってしまった。スプーンも茶碗蒸しも、...

霊場 国東半島 その2

両子寺を後にして向かったのは富貴寺(ふきじ)。 こちらも西暦718年(養老2年)に仁聞が開基したと伝えられる国東半島の古刹である。 両子寺とは全く趣のちがう小さなお寺ではある。 ここには平安末期に建築された国宝の阿弥陀堂がある。九州最古の木...

霊場 国東半島 その1

大分県北部に位置する国東半島は霊場といわれるほど多くの寺院があるのをご存じだろうか。 実は私は知らなかった。 というより、京都や奈良が実近にあるし、熊野や四国は存じていても、九州に霊場と言われるようなところがあろうとも思わなかったし、そんな...
4.スタッフ便り

ブログ再開

ご無沙汰致しております。 皆さま、お盆はいかがお過ごしになられましたでしょうか。 私事ですが、小さい頃の記憶というのは断片的にとても鮮やかに残っています。 毎年皆でお墓へとご先祖様をお迎えにいき、お供えものには茄子や胡瓜に割り箸が刺され、い...
京都

百日紅(さるすべり)

真夏の花というと、蓮・向日葵・朝顔と、この百日紅が代表格だ。 花に関する漢字は非常に蘊蓄(うんちく)がある。馬が酔う木と書いて「あせび」と読んだり、木の瓜と書いて「ぼけ」と読んだり…。その字から花の特徴がわかるようだ。 百日紅は夏の暑いさな...

お遍路の地へ

出張で四国(愛媛)へ行っていました。 連日35度を超える猛暑だというのに、真っ黒に日焼けした顔に白装束のお遍路さんをおみかけしました。 さすがこの時期に歩いてまわろうとされる方達。お1人で歩いておられる方がほとんどでした。 お1人といえども...

エローラ石窟寺院郡 -インド-

前回までにご紹介したアジャンタの石窟寺院郡は仏教の石窟寺院郡ですが、今回からご紹介するエローラは、仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教がそれぞれ造られた時代は違えども破壊される事なく共存し、そして残っているという、まれに見る石窟寺院郡です。 今ま...
京都

オヤジの昼寝 -天龍寺-

今年の夏は猛暑が続いている。 日中は強烈な日射しで、水銀柱は常に30度を超している。町中を歩くと、干物になりそうな…。 そんな炎天下にもかかわらず、連日天龍寺は観光客で賑わっている。 大方丈や書院に吹き抜ける風が気持ちよく、ゴロゴロ寝ている...

伊賀 美の旅

長瀬(名張市・上写真)をあとにし、伊賀上野へ…。 藤堂高虎ゆかりの伊賀上野城や、松尾芭蕉を記念して作られた俳聖殿、芭蕉の五庵のひとつで、唯一現存する蓑虫庵は以前訪れた為、その近くにある伊賀焼の谷本洋さん、あけみさん夫妻のギャラリーへ伺います...

自然豊かな地、名張へ

名張に住む友人の所を訪れました。 名張というところは、三重県にありながらも奈良にほど近く、話すことばや文化なども、奈良に近い事が多いそうな。 また、伊勢に通ずる街道が通っている為、街道筋には古い家が未だに多く残り、「昔の人々もここを通りお伊...

ダウラターバード -インド-

エローラの遺跡に行く途中に、自然の山を利用した要塞があります。 1326年、デリーからこの地への遷都をもくろんだスルタンが築いた要塞だそうで、高さ180メートルの天然の要害の下部50メートルを垂直に削ったそうな…。 そのスルタンは、この城下...

美しい竹細工 生野徳三さんの工房へ

研修で大分を訪ねていた際、以前から親交のあるお寺のご婦人にお願いして、大分市内にある、竹工芸師 生野(しょうの)徳三氏のご自宅を訪ねた。 「雨竹」。ちょうど梅雨の時期であり、この床に相応しい軸がかけてある。 私事ではあるが、毎年年始には、先...
寺院用ソフトウェア

湯布院 (擔雪(たんせつ)II講習会)

大分県の住職研修会へ、弊所の発売している「宗教法人管理システム 擔雪(たんせつ)II」の講習をするようにと呼ばれて出向いた。 今回、偶然にも2つの別の研修会が続いて行なわれることになったため、二泊三日での別府泊まりである。 このころの九州は...