余命


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幼なじみが甲状腺悪性腫瘍ステージ4の診断を受けたのは2年前の春だった。花の真っ盛りに、仲良し4人組の私たち3人は泥沼に足を取られたような絶望感に陥った。癌の専門家4人が手術の成功は望めないとして担当を拒否し、国立癌センターの医師は、腫瘍のすべてを手術で除去することはできないにしても、手術をしなければ早晩、喉に広がった癌が呼吸器を塞ぐことになるから、今は切るしかないでしょうと、とりあえずの部分的な腫瘍除去をすすめた。
友人が私たちに病気のことを知らせてくれたのは、最初の診断を受けてから半月ほど経ってからだった。その間の苦しみはいかばかりだったかと思う。自分の状況をみんなに報告したのは、彼のなかで病いを受け止めようという気持ちが納得する形で固まったからだろう。彼は回りの者たちの意見に素直に耳を傾けて、自らが納得できるやり方を選んでいった。運良く、帯津三敬病院にかかることのできた友人は、漢方治療をやりながら検査などの西洋医学のやり方も排除しない方法をとった。帯津三敬病院は、先達てメディアがとりあげた「ホメオパシー」を否定していないことでも知られる。
友人は、この二年半、極めて普段通りに暮らした。以前と変わったのは、ほぼ完全な玄米菜食に切り換えたことくらいだ。と言っても、わたしたちと会食するときには、肉以外はすべて食べる。お酒だって飲む。よく笑う。ただ声が少し出にくいことを除けば、彼が病人だと思う人はいないだろう。その声だって1年前よりは確実によくなっている。
彼は、早朝に目覚めると、太陽や山や亡くなった両親にありがとうという。それからゆっくりと近所を散歩する。30分ほど半身浴をしながら読書する。ゆっくりと食事する。仕事もやる。家族や友人・知人との交わりを丁寧にこなす。週一回のテニスは欠かさない・・・・・
そこで、と思った、「〈彼の余命〉と〈私たち3人の余命〉の不確かさに些かの違いもないが、その質において、彼の余命は、健康という思い込みによって〈いのち〉に対する不遜を免れない私たちの余命を遙かに凌駕していることだけは間違いないであろう」と。