朝日新聞に「悩みのるつぼ」という秀逸な身の上相談がある。回答者はいずれも、腑に落ちる意見を愉快にサラリと呈示するので、結構楽しみに読ませていただいている。先般、子育てに失敗したというある母親の「悩み」が載っていた。50代半ばのおかあさんは、息子ふたりを「高いレベルの人生、豊かな暮らしを願って」育てた。おかあさんの考えうる最高の教育を受けさせるために、気の進まない息子たちを東京の大学に進学させ、長男は留学もさせた。「就活も一緒にエントリーシートを記入」し、そのかいあって、「知名度の高い企業に就職」することができた。しかし、上司によるイジメに遭い1年で退職、次の職場も上司に叱責されて登社できなくなったという。二男は二浪して大学に入ったが、学校に行かないでアパートに籠もりPCオタクになっている。
回答者の岡田斗司夫氏は言う:
あなたの好む手法は「徹底的に介入し、指導する」です。この手法を使う限り、自分が知っているジャンルしか扱えません。息子をとにかく一流にしたいとあなたは努力しました。その努力自体はすごく立派だと思います。でもあなたには「どんな一流が息子に向いているか?」というビジョンがない。しかたなく「私の知ってる一流」という方向で努力しちゃいました。あなたがスポーツ選手なら問題ありません。「私のようになれ、私を越えろ!」と教えればいいわけです。同じくあなたの家が老舗だったり歌舞伎みたいな世襲業なら、この教育方針でも決して間違ってはいません。しかし、あなたはスポーツ選手でも歌舞伎役者でもない。「私のようになれ」と息子に教えたら、どうなっちゃうのか? あなたは息子を「一流のお嫁さん」にしちゃったんですよ。(中略)いまや息子は二人とも「家事手伝い」です。
相談者のおかあさんには申し訳ないが、私は声を立てて笑ってしまった。青年たちは、結構高学歴の、強い思い込みを持った、強いおかあさんに育てられて、おかあさんの強さに辟易しながらも、その影響下にじっとうずくまっているのだろう。でも、岡田さんはこうも言う:
あなたは世の中の数多い「教育に失敗した名も無き母」の一人です。いまからできるのは、愚かな溺愛だけ。でも、そこから巣立って幸福になった子供だって数え切れないほどいます。僕もその一人です。僕は、いまは亡きおっかない母が大好きでしたよ。僕を溺愛してくれました。
そう、「溺愛」が不幸を産むとは限らない。「溺愛」には何にも代え難い力があるのではないか。その「溺愛」が一切の見返りを求めないものなら、これほど確かで心強いものもないだろう。もし神に「溺愛」されるなら、私は四の五の言わずに、直ちにそれを受け入れる自信がある。溺愛されると、人は心地の良い安心感にとっぷり浸かることができるだろう。そうなれば誰も不安を抱えてカウンセリングに向かう必要もない。特に昨今はすべての子どもたちが、「溺愛」の恩恵に浴せるとは限らないのだ。だから母親は子どもたちを存分に溺愛していいのではないか。前後の見境なく愛して何が悪かろう。
ただ岡田氏は最後にこう付け加えている:
だからもう大丈夫です。手放してあげてください。