去る10月1日に大本山妙心寺法堂にて、妙心寺管長河野太通老師の導師のもと、愚堂東寔禅師350年遠諱が厳修された。
この法堂は、愚堂禅師がご存命の頃に建立されたもので、そう思うと、参列している私も感慨深いであった。
何度かブログ禅でも紹介してきたが、この遠諱に向けて禅文化研究所では、愚堂禅師の「語録」と「年譜」の訓注本である『訓注 大圓寶鑑國師語録並年譜』、そして墨跡をあつめた図録『大圓寶鑑國師墨跡集』の編集制作を行なってきた。
愚堂禅師の「語録」は、伊勢中山寺様に残されている、法嗣・雪潭豊玉和尚の筆による収集草稿本が基礎となっており、この草稿本を八百津大仙寺十四世の康林祖寧が考訂して刊行したものが流布されている。
他に大仙寺に、『宝鑑録拾遺』と題される草稿本が遺る。筆者は不明で、年月日も記されていないが、『宝鑑録』にもれた書簡や聯句などを集めた、全二十二丁の薄いものである。
また、かたや「年譜」は雪潭和尚が編輯し、美濃真正寺の安山玄永が考証の任に当たったが、結果的に開板されたことがなく、中山寺に雪潭和尚自筆の稿本が遺り、東京大学図書館(「東大本」と略す)、花園大学図書館(「花大本」と略す)、そして、八百津大仙寺(「大仙寺本」と略す)の三箇所に、それぞれ別の写本が所蔵されている。
さらに、今回の『図録』の制作のために全国各地で撮影した際に見つかった真筆資料がある。
これらの諸資料をすべて網羅したのが、今回の遠諱記念出版である『訓注 大圓寶鑑國師語録並年譜』(訓注・能仁晃道)である。『大圓寶鑑國師墨跡集』の図版番号も注記に含まれ併せ見ることができる、平成新修『宝鑑録』ともいえるものとなった。
紐解いてみると、例えば、「年譜」慶安元年(72歳)の項に、禅師は『老子経』を閲覧し、また行録の慶安二年(73歳)の記載も併せ見ると、寝食を忘れるほど読まれていたようである。後水尾天皇は勅して、禅師に老子経の中から二編を書いてもらったとある。『墨跡集』には、そこのころに書かれたのではないかと思われる「老子経」の一編を書かれた墨跡(写真)が残る。
こうして関連付けてみると、難しい漢文語録を読むことが、なかなかに楽しいものになるのではないだろうか。