かみ添。様々な文様のカードが並ぶ
日々の生活で出会った素晴らしい職人さんを、季刊『禅文化』にてご紹介しています。
本ブログでもご紹介させていただきます。
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季刊『禅文化』216号より
“技を訪う―かみ添 嘉戸浩(かど・こう)” 川辺紀子(禅文化研究所所員)
無音(むね)と名付けられた光陰彩紙。
この紙に「しんしんと降る雪」を思うか、はたまた「カワイイ水玉!」と見るか
ペンを取り、好みの紙に便りを認める。
昨今は、年賀状でも、大切なことがらでも、メール一つですぐに相手に伝えたいことが届くようになった。便利なものは便利なものとして活用したいが、やはり“心をこめる”には、自筆の便りをと思い、人よりはまめに手紙を送る。家には、便箋やハガキや切手が、季節や相手に応じてすぐに送れるようたくさんストックしてある。
せっかく京都に住んでいるのだからと、利用する便箋等に和を意識しすぎてしまうと、かえって本来の和の美しさから遠ざかり、ただ古さを気取っただけのものになりかねない。
手紙を受け取る相手がどこまで感じ取ってくれるかはさておき、一人でああでもない、こうでもないとこだわっているわけだが、“和”と“洗練された新しさ”を兼ね備える便箋やハガキを選択するのはなかなかに至難の業である。だからと言って西洋風のレターセットはいまひとつ面白みに欠けるのと、自分には不似合いな気がしてあまり使いたくない。この勝手なこだわりの隙間を埋めてくれる、しっくりくるものとは、一体どんなものなのだろう。
紙に添うものたち
ある日ネット情報で、「京都の唐紙を作る老舗で修業をした人が、新しくお店を開く」ことを知り、その老舗の唐紙の便箋やハガキを十年ほど前から度々使っていた私は、これは是非ともお弟子さんの店とやらを拝見せねばと、開店して間もない「かみ添」にでかけてみた。
「なるほど……、そういうことか」。私がもどかしく思っていた隙間部分を埋めてくれるような、興味惹かれる美しい紙が並んでいたのである。元来、唐紙にある文様といえば、さほど日本文化に詳しくなくとも、すぐに「あア、日本古来の文様だな」とわかる類のものが多いのだが、「かみ添」の展示品の中でまず一番に目に飛び込んできたのは、トルコの文様が摺られた紙であった。木版を使って紙に文様をつけるわけだが、「職人に使われることもなく、捨てられるか、骨董品としてオブジェとなってしまうような木版を世界中から集め、使いたい」とは、店主の嘉戸浩さんの言だ。なるほど、私が以前旅した東南アジアのどこかの国で見たような懐かしい文様などが施された紙もある。インドの更紗やインドネシアの臈纈染めなどの布作りの型押しに使われる木型を使うのもとても素敵だろう。さまざまな国を旅して見てきた文様が私の頭の中に溢れ、わくわくしてきた。私の大好きな日本文化と、日本文化をこよなく愛するからこそ芽生える他国の文化への関心や尊敬の念、どちらも満足させてくれるような作品であった。
トルコの文様の襖紙を段貼りにした襖
このような紙で作られた便箋は、抽象的な文様が、便りを送る相手の年齢を選ばないし、私が理想として求めていた“和”であって、しかも凡庸ではない。不思議な美しさを持ち、色や文様によっては送る側の若々しさや清々しさまでも連想させてくれる紙なのだ。また、その文様が、あからさまに特定の季節を連想させるようなものではないので、季節のあいさつという押しつけがましさもない。
そんな美しい紙を作り出しているのが、先の、「かみ添」主人嘉戸浩さんである。まだお若いのにどういった道を歩んで自らの店を出すまでに至ったのだろう。興味はつきなかったが、その日は時間もなかったため、後ろ髪を引かれる思いで店をあとにし、後日、改めてお話を伺いにお邪魔した。
店内
「特に両親や誰かから影響を受けたというわけでもありません。父は公務員ですし、私も高校生までは野球づけでした。それでもデザインなどには興味があって、一人でよく絵は描いていました。ただ、中学校二年生の時、美術の先生に描いた絵をすごくほめられたことがとても嬉しくて、それは強く心に残っておりました」。家では、黙々ととんぼや花のデッサンをする野球少年。なんだか面白い。高校卒業後は、やはり好きな道へと、美術大学でプロダクトデザインを学び、椅子などを手がけたが、マッキントッシュでのデザインが主流になり始めていた時代で、一つの形をベースに、色々な形に変換して作り出されるデザインの面白さにはまった。立体デザインを経て、平面デザイン(グラフィックデザイン)の勉強をするために、大学卒業後、単身サンフランシスコへ渡った。半年間英語を学び、自作の作品集を片手に美術大学の面接を受け、日本人なら普通五年かかるところを三年で卒業。その後はニューヨークで雑誌社のインターンや、アートプロダクションでの経験を積み、また、フリーランスとしてもさまざまなグラフィックデザインに携わった。
柔らかい風合いの和紙に、文様が美しく浮き出た便箋
のちに嘉戸さんが日本文化に深く関係する仕事に就くきっかけとなったのが、アメリカの大学で受けた“間”についての授業だったという。何かをデザインする際に重要な“間”の感覚を養うための授業で、日本の古典美術や、日本人グラフィックデザイナーの作品が題材として用いられていた。皮肉にも、日本の大学ではそういったことは全く教わらなかったという。日本の美術や日本人、日本文化が持つ独特の“間”という感覚が、最先端のデザインを教える海外の大学で採りあげられているのは興味深い。そんな講義を受けたこともあって、嘉戸さんは自身で、日本の美術、特に琳派や浮世絵などについて学び始め、さらには家紋や日本の文様、紙や絵の具などについても学んでゆくうちに、唐紙にたどり着いたという。また、アメリカ留学時代にはよく南米へも旅行にでかけ、日本とは全く違う文化の中に身を置いたことで、改めて日本の良さを思い、最終的には日本に戻って仕事をしようと心に決めたのだという。
二十七歳で帰国。自作の便箋や封筒、ポートフォリオなどを携え、これまで自身がやってきたことを見てもらい、学びたい意志を伝えるために唐紙の老舗の当主に会いに行った。この積極性は、アメリカで暮らしたことが大きかったという。外の世界を見てから、日本の良さを再認識したということで、当主の方は、「なんだか面白いのが来たな」と思われたのであろう、そこで学ぶことを許された。元来家業として受け継がれて来た唐紙作りの中に突如入ってきたアメリカ帰りの青年の生活は、よくある職人の徒弟制度の生活とは違い、当主との関係も、もちろん“技は盗んで覚えろ”の世界ではあるものの、淡々としていたという。だが、その“淡々とした”世界こそ無尽蔵であり、恐ろしいものであろうと素人の私などは思う。
約五年間経験を積み、独立するに至ったわけだが、「かみ添」という印象的な屋号は、紙が人々の生活に、人の心に、添うことを願って付けられたようだ。「かみ添」には、便箋、封筒、カード、パネル、襖紙から壁紙に至るまでさまざまなものが揃えられている。また、かみに添えたい雑貨(和蝋燭、白熱灯、陶器)などもセレクトし、扱われている。元来の唐紙とは違い、古典模様ではなく世界各国の木版を使用したり、嘉戸さん自らがデザインした模様を施す。この新しい紙を、嘉戸さんの奥様が「光陰彩紙」と名付けられたそうだ。なるほどシンプルながら、この紙の性格がよく言い現わされている。新しい息吹が感じられると同時に、日本古来の技術や美的感覚、陰影の大切さも伺われる。
壁に飾られたパネル
紙一枚に、作り手の人生や哲学が詰まっている。そのことが少しでも多くの人の知るところとなれば、それは日本文化を見直すきっかけともなる。彼の投じた一石がどのような広がりを見せるのか。量産できないために「光陰彩紙」は安価ではないし、知名度もまだまだ高いとは言えない。「なんだか高価で難しいもの」「どのように使えばよいのかわからない」といったイメージを払拭し、若者も含め多くの人に知ってもらい、その人の生活と心に添う紙を提案してもらえればと願う。
嘉戸さんの強みは、一度世界に出て、そこから日本の素晴らしさを再認識し、日本の伝統に帰られたことだろう。多様な角度からのアプローチが可能になる。古来から使う紙が決まっている寺院などでも、是非自身の紙を使ってみたいと嘉戸さんはいう。寺は、伝統を守りつつも常に新しい文化をも許容し、日本文化の最先端をゆく場でもあった。そんな寺院で、光陰彩紙が使われるのは、ちょっと心踊ることではないかと、私は心待ちにしているのである。
―かみ添― 嘉戸浩
〒603-8223 京都市北区紫野東藤ノ森町11-1
TEL/FAX 075-432-8555
*季刊『禅文化』には、光陰彩紙のつくり方もモノクロ写真入りで掲載しております。