『禅文化』214号 技を訪う -仕立て屋 千浪-


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日々の生活で出会った素晴らしい職人さんを、季刊『禅文化』にてご紹介しています。
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季刊『禅文化』214号より
“技を訪う―仕立て屋 千浪 坂本多鶴子”   川辺紀子(禅文化研究所所員)
 茶道を始めて十年。親もとを離れ独立して生活するようになって、親や呉服屋に言われるままに仕立てていた着物について、いろいろな意味で“やりくり”ということを考えなくては、この先やっていけないなと気づかされた。それは単に金銭面ばかりではなく、お稽古事とはいえ、十年茶の湯に親しみ、着物と付き合うようになると、それなりに自分のこだわりも出てくるからだ。
 着物や袈裟などは、職人が丹精込めて作った反物から、人が着る物へと生まれ変わる時、その着やすさと見た目の美しさという点で要になるのが何といっても“仕立て”であろう。着物のことが少しずつわかってくるに連れて、「仕立てをしてくれる人と直接話をしたい」という思いが強くなって、まずは一番必要としていた夏用の雨コートを作るための反物を求め、仕立てをお願いできる和裁士を自ら探すことにした。直接和裁士のところへ反物を持ち込むからには、マージンが発生する呉服屋での仕立て代よりは安く、雨コートとなると着物を着た上からさらに着るものなので、なるたけ近所で、仮縫いの段階で着物を着て出かけてゆき、寸法の確認ができること、また、それを嫌がらずに受けてくれるところ……など、多々条件があった。
 インターネットで調べると、呉服屋での仕立て代からは想像もつかないような安値で仕立てを請け負うところもあったりするが、近場ではない上に、寸法をメールなどで伝えるのみでは和裁士の顔は見えないし微妙なニュアンスも伝わらない。着物に詳しい人にさまざまな仕立て屋のことを聞いて、調べてみたり訪れたりするが、どうもしっくりこない上に対応も気に入らない。
 そこではたと思い出したのが、涼しげな暖簾の掛かった一軒の町家。かなり前に自転車で近くを通りかかった際に、「こんなところに仕立て屋があるのか……」と思った記憶があった。確か暖簾には私の好きな千鳥の紋匠があり、その横に「仕立て屋」とだけ印象的な文字が書かれていた気がする。とりあえずは記憶を辿って思い当たる地域を探してみよう……と勇んで出かけた。


 碁盤の目の京都の道を一筋ずつ探していると、あの印象的な暖簾が目に入ってきた。美しいものが生み出される場所というのは、なんとなくそのような雰囲気を醸し出しているものであるし、スッキリとした家自体がそこの主を表わしていると思った。
 暖簾が掛かっているのみで、何ら案内も置いていないため、これは直接いろいろとお尋ねしてみようと、綺麗に掃き清められた玄関の戸を開けてみた。入ってすぐの通り土間横の部屋を作業場として改装されたようで、そこから顔を出された女性と、広く明るい部屋に私の眼はくぎ付けになり、「あ、ここでお願いすることになるな」と直感した。話を伺ってみると、仕立て代も納得のいくもので、もちろん仮縫いも可能、一人で和裁士として独立して働いておられるようだ。
 ひと目見て好感を抱いたのは、彼女が全く化粧をせず非常に清潔感があったからだ。大切な反物を預けて縫ってもらう上で、化粧をしている女性にお願いすると、知らず知らずのうちに顔を触っていたりするもので、ファンデーションや口紅などが生地につく恐れがあり、あまり良い気はしない。また、作業部屋にもいたく感心した。仕立て中のものだけが部屋の真ん中にある机の上に広げられ、周りに無駄な物は一切置かれていない。床にも糸くず一つ落ちていなかった。これだけで、どんな仕事をする人か一目瞭然であった。「やっと出会えた」と思えた和裁士―仕立て屋千浪―の坂本多寿子さんだった。


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開業時に友人から贈られた升

 結局、雨コートの仕立てをお願いすることになり、仮縫いも済ませ、思っていた通りの美しい仕上がりを後日眼にすることができた。仮縫いにもかなり時間を取り嫌な客であったろうが、とても丁寧に対応してくださり、これからも何か仕立てる時は彼女にお願いすることに決めている。できあがったコートは着物を着た身体にぴたりと添い、特に梅雨が長引いた今夏は、すぐに活躍することとなった。
 一人で和裁を生業として働く彼女が、どのようにしてこの世界に入ったのかについては、個人的にもとても興味深いことで、いろいろとお話を伺いに後日再度時間をいただいた。
 彼女の生家は宮城県で呉服屋をされているという。店舗を兼ねた自宅で、幼い頃から当たり前に着物がある世界だったらしい。「やはり環境なのか……」と思わされた。高校を卒業した後、親の勧めもあって花嫁修業の一環として通うような専門学校で二年間、お茶やお花、和裁などを学んだ。その後、本格的な和裁の訓練所(五年制)に入った。住み込みで働きながら勉強したが、まさに野麦峠の世界だったそうだ。一通り着物などは縫えるようになり、四年半でそこを去った。実家に帰ったが、やはり「家を出て独立すべき」という気持ちが強く、「どうせ行くなら、京都へ行こう!」と思いたった。和裁を専門に行なうようないくつかの事業所に手紙を出して、返事のあった先に自らが縫った着物を送り、「最低二年は勤める」ことを条件に、縁のあった一社に決め京都へ向かった。
 その後、キャリアを積んで、平成十八年四月に現在の地で暖簾を出し開業した。「千浪」という名称は、坂本さんのおばあさんの「於浪」という名前に因んだもので、晴明神社でつけてもらったという。浪に千鳥……ということで、暖簾には千鳥と浪の紋匠が染められている。二人のお兄さんのうち一人が呉服屋を継ぎ、紋匠について研究されており、もう一人のお兄さんは美術を勉強しているということで、坂本さんの注文を元に実家で作られたそうだ。「千浪」の文字は知人の書家に書いてもらったそうで、隷書を彼女の好みで崩したものである。それぞれの道のプロが集まってできあがった暖簾なのだから、目を引くのも尤もであった。

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母の振袖が娘のものへと生まれ変わる

 さて、事業所では、同じように和裁を学び、働く仲間がいたが、和裁を生業とすることは簡単ではないようだ。技術があっても、仕事の量が昔と比較にならないほど減っているのもその理由だろうが、女性の場合、結婚や出産のブランク後に復帰しても、布(反物)を断つのが怖くなって、結局は仕事ができなくなってしまうらしい。一枚の布を截断し、着物へと仕立てる。考えたこともなかったが、顧客の大事な反物に最初にハサミを入れる責任というのはそれだけ重いものなのだ。
 坂本さんは、呉服をはじめとして、依頼があれば、茶人の十徳、九条袈裟など、さまざまなものを手がけるが、ひときわ楽しそうに語ってくれたのが、美術館などから依頼のある文化財修復・復元についてであった。坂本さんがこれまでに修復したり、復元したりした小袖や袈裟などの写真を数多く拝見し、腕のある職人にかかれば、朽ちかけたものも再度命を吹き込まれ、蘇るのだということを実際に見させてもらった。
 仕事をしてゆく上で、彼女がとりわけ大切にしているのは、「繋がり」だという。一つの作品ができあがっても、それですべてが終わるのではなく、喜びが後々まで続き、繋がっていくというイメージを持ち続けたいという。例えば着物なら、糸を作った人、布を織った人、デザインを考えた人、色を染めた人など、たくさんの人の思いが繋がって、最後に仕立てられて着物となるが、一人が着て終わるのではなく、その着物は、母から娘へ、娘から孫へと大切に保存され手を入れられながら受け継がれてゆく。そんな繋がりを願いながら坂本さんは一枚ずつ丹念に仕立ててゆく。物に託された思いもまた連綿と受け継がれてゆく。「繋がり」の中でこその仕事だという彼女のスタンスと、プロとしての揺るぎのない技術の確かさが、はっとするほど美しい作品群を生み出すことを可能にしているようであった。
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仕立て屋 千浪  坂本多寿子(国家技能検定一級 和裁士)
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