システィーナ歌舞伎「スサノオsusanoo」 -大塚国際美術館(鳴門)-


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徳島県鳴門市の、大塚国際美術館にて昨年より始まったというシスティーナ歌舞伎を観劇に訪れました。
私自身、能や狂言は好きでよく観にでかけますが、歌舞伎はどうも苦手でして(ファンの方申し訳ないです、好みです)よほどの機会が無い限りでかけないのですが、システィーナ礼拝堂を模したホール、異空間で行われる近松門左衛門「日本振袖始」のスサノオ?!どういった事になるのだろうと楽しみにでかけました。
歌舞伎役者のみならず、徳島での上演という事で、阿波浄瑠璃や、スサノオという題材から、石見神楽のヤマタノオロチまで登場するシスティーナ歌舞伎版のスサノオ!!!
母方の里が出雲の私としましては、幼い頃より、訪れる度に耳にした神話や地名など、馴染み深い題材という事もあり、一度で何度も美味しいような舞台にひきこまれてゆきました。
クライマックスの高揚感は、なるほど能や狂言では味わえないような、また違う感動があり、芸道の素晴らしさに心打たれるひとときとなりました。
ここでまた、毎度引用して恐縮ですが、弊所発行の『歩々清風』堀内宗心宗匠著の一文を思い出しました。

……茶道の修練、点前の習熟ということについて、師は常に弟子と共に習うことが必要であります。ともに手をとって進むことが大切であります。この点前の習熟ということになりますと、実は先に違うと申しました芸道と非常に酷似してくるのであります。身体の隅々まで神経を働かせて、自分自身の身体を律することこそが必要なのであります。身体を律するということの間にひょっとして、自己解脱をすることがあるかもしれないと先に申しました。実は芸道では、天人にもなれるかと思うと、また狂人にもなれるのであります。これはやはりひとつの自己解脱であります。私が芸道に敬意を表するのはこの点であります。
『歩々清風』-お茶をおしえるという事-より

「芸道では、天人にもなれるかと思うと、また狂人にもなれるのであります。これはやはりひとつの自己解脱であります」。
嫉妬に狂った姫を演じる役者の迫真の演技に息をのんだ自分、はかなげな姫を演じる女形の役者の所作のあまりの美しさにうっとりした自分。芸の修練を積み重ねた人間の持つ独特のオーラや美しさに、宗匠の一文を初めて理解したような気が致しました。
このシスティーナ歌舞伎、どうやら毎年恒例で行われるようです。
来年も楽しみです。皆様も機会があれば是非訪れてみて下さい。