人と人との繋がりということ


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一昨日は冬至でしたが、柚子風呂に入った方もおられますか?
うちのお寺では冬至には役員さんや世話方さんの慰労会を行ない、茶飯やけんちん汁やかぼちゃを出して、みなで一杯やることにしています。全国の僧堂では、今年掛搭した新人雲水さんたちも、一晩限りの無礼講で大騒ぎするのが習わしとなっていますよ。
さて、今年も押し詰まりましたが、皆さん、年賀状の投函は済みましたか?
私はやっと昨日、約400枚を投函しました。
「やっと」といっても、基本的には表も裏もパソコンとプリンターががんばってくれたわけで、自分は文面とデザインを考えただけですから、実はたいしたことはないのです。
それでも、今の若い人達は年賀状を書かない人が多いようですね。
じゃあ新年の挨拶はなしかというと、親しい友達だけに「あけおめ」(あけましておめでとうの意)メールなんだそうです。
デジタルでやりとりして、リアルタイムに繋がっているということなんでしょうね。
年賀状のように何日も手間をかけて、郵便屋さんの手も借りて、やっと届くようなものより、速攻で届いて、すぐ返事が来るからいいのでしょうか。そのくせ逆に、すぐ返事が来ないとやきもきしてしまい、不信感が出てしまうというのも否めないと思うのですが。
先日、檀家さんの一周忌にお参りしましたら、親戚はもとより近所の方達も招待して、とても賑やかだったのです。まぁ私のような田舎の寺では、多くがこの方式ですが、最近になって、身内だけでという法事も増えてきました。
その席で、こんなお話をしました。
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ここに集まっていただいた方々は、この故人、あるいは遺族の方と何かのご縁で繋がっていらっしゃる。
たとえば、ここにおられるどの方にも、かならず2人の両親がおられます。その両親がおられなければ、あなたはこの世に存在しなかった。これはあたりまえのことでしょう。
しかし、その両親にもそれぞれ両親がおられる。つまりあなたからいうと4人の祖父母がおられるわけです。またその4人の祖父母にもそれぞれ両親がおられるわけで、あなたからいうと8人の曾祖父母がおられるわけです。
こうして数えていき十代遡ると、2の10乗、つまり1024人の祖先が横繋がりでおられることになるのです。十代といっても、一世代20年としてもたった200年前、江戸時代の頃です。
2+4+8+16+32+64+128+256+512+1024=2046人の祖先。たった十代でもこれだけの数です。でも、その中の一人でもおられなかったら、あなたという人間は、今ここに存在しなかったわけです。
これは血縁だけの話です。
ほかにも、その祖先が結婚することになるために尽力してくれた人もいるでしょう。生まれるときに手伝ってくれた産婆さんもいるでしょう。いろいろな人が関わって、そしてあなたがここにいる。
それに気づかない人が今は多すぎるんです。まるで自分一人で生きているみたいに思う個人主義の人達が。
東京ではお葬式さえせず火葬場で家族だけで送る人もかなりいると聞きます。「俺は人に迷惑をかけたくないから、葬式はしないでくれ」と遺言する人もいます。
ちょっと格好いいかもしれませんが、私からいわせれば、横柄でジコチュウ以外の何者でもない。一人で生きてきたんなら、猫のようにどっかに消えてひっそり亡くなればいいんじゃないですか。
我々は、お互いに支えあって、迷惑もかけ、お金をかけ、手間をかけて、繋がっているんじゃないですか? それが人間社会というもんじゃないですか? 御法事やお葬式というのは、それを再確認する場ではないでしょうか。
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こんなお話をしたわけです。
極端な話、手間もお金もかけない人間関係は、結果的にきちんと成立しないのではないかと思うのです。今、世の中におきていることは、この人間関係の崩壊に他ならないとさえ思います。
全国の民生委員さんの数が足りない、減少方向にあるとニュースで言っていました。面倒なことは引き受けたくないというのが、これもまた人情です。
しかし、高齢化社会の中、仕事をやめても元気で活躍できるお年寄りもたくさんおられると思います。
どうか特にその方々にお願いしたいのです。地域、家庭など、何らかのコミュニティの人と人とを繋ぐきっかけや仕事を担ってくださらないでしょうか。
このまま、若い人達が気づかないで生きていかないように……。