新年、明けましておめでとうございます。お正月早々から、私たちのブログを開いてくださっているあなたとのご縁に感謝します。この一年もまた、当研究所との親交を、さらに深めてくださるよう、所員一同とともにお願いいたします。
毎年のことながら、元日の朝のこの瑞気は、まさに千里同風ですね。一歩門を出ると、もうその辺りが大晦日の夜と、まるで打って代わったように新鮮に思われるのは、何とも不思議な人間の心理と言うべきですね。
昔から禅門では、人生に疑問を抱き、これを解決しようと艱難辛苦の修行を積んだ人は、あるときふとした機縁によって、その大疑団がガラリと瓦解氷消したとき、思わず欣喜雀躍の大歓喜を味うものだと説いてありますが、その新鮮な悟りの心境はちょうど、昨日までとは全く異質な、元日の朝を迎えたときの、この気分爽快に似ていないでしょうか。
表題の一句「雪後に梅を得る」は、そういうときの歓びを述べたものでしょう。つまりよほどの苦労をしたものだけが、雪の中に咲く「梅」を手にすることが出来るというわけです。少し待てば百花爛漫の春がやってくるのですが、そんな気怠い春の季節に、大勢の人とともに花を眺めても、どれほどの歓喜を味わうことができましょう。
「曾て雪霜の苦に慣れて、楊花の落つるにも也(ま)た驚く」という語があります。雪や霜を踏むような修行の苦労を通ってきた人は、たとえ暖かい春がやってきて柳の花が転げ散るのを見てさえ、ハッと驚くというのです。苦労が身に染みた人の憐れみを、讃えた句でしょう。
ましてまだ雪のある中で蕾をつけ、ふくよかな匂いを四辺に漂わせる梅の花。それは「万花の魁(さきがけ)」と讃えられ、古人は禅の修行の苦しさと、その結果手にし得る悟り悦びの象徴として、ここではこれを尊んでいるのです。
暖かさの中で育った温床の花は、環境の変化に遇えば、すぐに萎れてしまうでしょう。人間の幸せもまた、苦労をくぐり抜けてこそ、初めて香り高い花を開くのです。
私たちも新しい年の初めに、新しい年の安易な幸せを願うばかりでなく、あえて試練に立ち向かおうとする決意を、新たにしては如何でしょうか。
禅文化研究所長 西村惠信