「やりゃあいい」


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少し前のお話ですが、所用があり母校(大学)を訪れ、ゼミの教授にお会いしていました。そこへお友達の教授がやってこられました。
ゼミの教授曰く、「お話した事ありましたかねぇ。もう二十年くらい、彼とゲーテの講読会をしているんです。今はファウストを原文で読んでるんですよ」と。
私は、ほほぅ…と思い、「ファウストですか。ところで今会員は何人くらいいらっしゃるんですか?」とお聞きすると、あっさり「彼と2人です」とのお返事。
2人で勉強会を続けているというのに正直驚きましたが、同時にとても感動しました。好きな事を自分達のペースで、淡々と、長年に亘り勉強されている先生をさらに深く尊敬しました。
そういえば、私が習っているヨガの先生の先生がスペシャルワークショップで京都にいらした時、私が「ヨガの哲学も習いたいです。でも哲学講座となると、人が集まらないかも知れませんね」というような事を先生に話していたら、先生の先生は「1人でも学びたいという人がいるなら、素晴らしいじゃない。是非やってみなさい」というような事を私の先生にこれまた至極当然のように、淡々と仰っていました。
人が集まろうがそうでなかろうが、学びたいと欲する事を学ぶ。ゼミの教授が多大なる影響を受けた和田重正先生もその著書で「やりゃあいい」と仰っていましたが、まさにその通りだと思った次第。つまらない理由をつけたり、ごちゃごちゃ言ったりしている間に、「やりゃあいい」んですよね。
これを言うとまた「やりゃあいいって言うけれど、それがなかなか行動にうつすのが難しいんだよな」と言ってしまいそうな気がしますが、ぐっとこらえて下さい。
「やりゃあいい」のです。