1980年は私にとって、結構大変な年だった。精神的に依存していた何人かが亡くなったのだ。もちろんこの人たちの誰にも直接お会いしたことはない。その一人、ジョン・レノン。射殺されたというニュースに心底ひっくりかえってしまった私は、何日間かアルバイトにまったく身が入らなかったことを思い出す。ビートルズ時代のレノンにはほとんど興味がなかったが、オノ・ヨーコと出会ってからのジョンにはとても惹かれた。ジョンにというより、このカップルに惹かれたのである。久しぶりにジョンのドキュメンタリー映像「イマジン」を見て、ヨーコの若いころの映像に少し衝撃を受けた。ジョンと一緒にいるときのヨーコが、不似合いな場所にいるおずおずとした東洋の女にしか見えなかったからだ。私は昔からヨーコの作品が大好きで、群を抜いた発想のすばらしさにいつも感嘆していた。ヨーコは決断力も行動力もハンパではなかった。そのヨーコが、「イマジン」のなかで、ジョンに寄り添いながら、フフと笑うのを見たら、なんともやるせない気持ちになってしまったのだ。一体この落差は何なのか。私の外国の友人たち(とくに男性の友人たち)はヨーコを全く評価しない。私は「イマジン」を見ながら、友人たちの気持ちがなんとなく理解できるよなあと思ってしまったのだ。もちろん彼らはヨーコに直に会ったことは一度もない。私ももちろんないが、すでに彼女の作品や生き方に惹かれ、ビートルズを壊した女としてではなく、創造的に前進する存在として、エールを送っていたから、彼らには常に反論してきたのだ。しかし、もし私が「イマジン」の画像を通してしかオノ・ヨーコを知らなければ、彼女に対して何の興味もわかなかったかもしれない。ジョンも、しょうもない女にひっかかったよねえ、という意見に同調していたかもしれない。
私が「イマジン」を最初に見たのはいつのことだったか。そのときヨーコに対してこんな負の感情をもった記憶はないから、概ねヨーコの画像をシンパシーをもって見ていたのだろう。どうして今回は、ヨーコの画像のいくつかに、がっかりしたのだろう。
かつてイギリス人の友人が、「彼女は自己表現がうまくない。誤解を生むよ」と言ったことがある。そう言われれば、ヨーコは英語はすばらしくうまいけれども、表情や身体表現は、あまりインターナショナルではない。もし、彼女がしっかりと頭をもたげで、堂々と臆せずに振る舞っていれば、もう少し誤解も少なかったのだろうか。
しかし、ここでふと思った。「イマジン」のヨーコにがっかりしたのは、彼女が西洋の枠組みから外れていたからではないか。ヨーコに西洋人の物真似を期待したのでは、もちろんないが、私は我知らず、映像的に、「西洋においても恥ずかしくないほどの自信に満ちた日本女性」であることを期待したのではなかったか。それに、もし彼女が絶世の美女だったらどうだったろう。ジョンの横でフフと笑う彼女に私はがっかりしただろうか。表情や身体表現がそれほど大きな要素を占めただろうか。私は美女ヨーコと同国人であることに小気味よさを覚えたかもしれないのだ。「ステレオタイプ」とはヨーコが唾棄したあり方だ。思えばヨーコは、インターナショナルでもナショナルでもない。ヨーコはヨーコなのだ。そのオノ・ヨーコの凄さを愛していたはずの私が、西洋の画像にぴったりと填まらないヨーコに違和感を覚えたのだ。西欧的なものを良しとするイメージの刷込みに、私も侵食され始めていたのか。
私たちは、どれほどの常識―手枷・足枷―のなかで生きているのだろう。どれほど「見た目」に囚われていることか。「ヨーコは若くなくてもいい、きれいでなくてもいい」と言いきったジョンが、なぜ私にとって大きな存在だったか、今更のように思い知ったのである。