映画 ヒア アフター


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つい先日より日本でも公開された映画「ヒア アフター」を観た。この映画の監督は、あのクリント・イーストウッドである。
以前、このブログでも彼が監督をした「グラン・トリノ」を紹介したことがあるし、「硫黄島からの手紙」という映画も評価を得て、監督業に邁進している彼である。既に80歳を超えているらしいが、かなり精力的に映画を撮り続けているようだ。
主演はいわゆる霊能者ジョージに扮するマット・デイモンである。
といっても、これはオカルト映画ではない。
別の場所で生きている三人が、それぞれに「死」と直面する。
死者との対話に疲れ霊能者を廃業し工場労働者となって働くジョージ。
パリで活躍するジャーナリストのマリーは休暇中の東南アジアで大津波に巻き込まれ、臨死体験を味わう。
ロンドンではドラッグ中毒の母の元で助け合って暮らしてきた双子の弟マーカスは、兄を突然交通事故で亡くし、悲嘆に暮れる。
そんな三人の人生がロンドンで交錯する。
グラン・トリノの時にも感じたが、クリント・イーストウッド監督の映画には、何か不思議な空気を感じる。
最近みた映画の中ではイチオシの映画だ。
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人は死んだらどうなるのだろうか。
仏教の教えは輪廻転生であるが、もちろん私は死んだことはないから、本当にそうなるのかわからない。
テレビで臨死体験をへた人の話も聞いたことはあるが、それが本当なのか、妄想なのかもわからない。
私は宗教者の端くれとして、死者を送ることや、最愛の家族を亡くした遺族の人達と直面する。そんななかで感じていたことを、この映画で再認識させられた。
人は本当に死ぬ間際に、愛する家族や友人に言葉を残すことなどできない。医療機器をたくさん繋がれた病床に臥した状態で、苦しく息も絶え絶えで、話すことなどできないはずだ。あるいは交通事故で即死であったら、自分の死んだこともわからないくらいかもしれない。
本当は家族に「ありがとう」と言って息を引き取れたら素晴らしいだろうがそれが叶わないのが現実なのだ。
遺族は故人の最後の言葉を聞けないで送ることになる。これから何を頼りに生きたらいいのかさえわからなってしまうことさえある。故人は何を言い遺したかったか知りたいのだ。
ではどうすれば?
結局、逝く者も送る者も安心を得るためには、一度しかないこの自分の人生を一所懸命に生きることしかないのではないか。
そんな人の生きざまこそは、遺族の安心となり、自らの幸せとなって遺るのではないだろうか。