お坊さん自身が叫ぶわけにもゆきませんので、在家の禅ファンである私が今日は叫んでみたいと思います(いえ、叫ぶというほどでもないのですが冷静に……)。
何故でしょうか、阪神大震災の時もそうだった気がしますが、今回の東日本大震災においても、「宗教者が何もしていない!」的バッシングが飛び交います。喜んでそのような事を言いたがる人たちが、どうやらいるようです。糾弾する相手が“宗教者”となると、「そうだ、あいつらは何のためにいるのだ!!!」と一緒になって批判する同志を得やすいからでしょうか。もちろん何も行動していない宗教者もいるのかもしれません、だからといって今それを責めて、何か良い事があるのだろうか?と私は不思議に思います。
僧堂で修行をしてきている禅宗のお坊さん達は、えてして自分の事はさっさと自分でやってしまわれます。私はいわゆる“偉いお坊さん達”が集まる会議に、議事録を取りに加わりますが、お茶一つお配りする時でも、その後にお昼御飯が出る時でも、御給仕をする人に任せるのではなく、皆さんがそれぞれにさっさとお手伝いをなさいます。僧堂を出ている者にとっては、至極自然で当たり前の事だからです。会社勤めをしていた私にとっては、初めてその姿を見た時にどれほど驚いた事か知れません。
役職や立場が上だからといって、根っこを生やしたように坐っているのではなく、さっさと行動。見ていてとても気持ちがよく、清々しいものです。
その“当たり前”のごとく、現地へ行って読経ボランティアやその他片付けに淡々と加わっている方達は実際数多くいらっしゃるお話をあちらこちらから耳にします。
マスコミからの情報だけで、本当のところを知り得る事もできないのに、一緒になって他者を責めたり(その矛先は政府であったり東電であったり色々ありますが)して、一体何になるのでしょうか。
今、そんな事をしている暇があるのですか?と問いかけたい気持ちです。