『禅文化』220号 技を訪う -ヨガ-

日々の生活で出会った素晴らしい様々な“技”を、季刊『禅文化』にてご紹介しています。
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季刊『禅文化』220号より
“技を訪う―ヨガ”  川辺紀子(禅文化研究所所員)
 三年ほど前だったか、運動不足の解消とダイエットの目的で、ブームになっているヨガの教室になんとなく行ってみた。女性受けを狙ったきれいな施設だったが、取り立てて惹かれるものもなく、一度の体験レッスンを受けたきりで、その後、ヨガのことはすっかり忘れていた。


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先生の笑顔。レッスン前には時節に合ったお話から、ヨガの哲学を学ぶ

 昨年は、さまざまなことが重なって身にふりかかり、夏の終わりには心と身体のバランスが取れずにバラバラになりそうな感覚を味わった。「ヨガに行ってみようか」。そんな思いがふと心を過った。自転車で通りがけに目にしていたヨガ教室が即座に脳裡に浮かんだので、さっそく体験レッスンを申し込んでみた。迎えた初日、おそるおそる教室の扉を開けると、先生の笑顔が目に飛び込んできて、安堵を覚えた。先生の明るい健やかな雰囲気が部屋にあふれていた。レッスンを受ける前に、「あァ、この先生でよかった。絶対にこの人を好きになる」と確信した。

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頭立ちのポーズ

 伊藤加奈子先生。学生時代の十年間は体操競技の選手だった。その後はダンサーとして舞台芸術に携わり、その道で生きてゆこうとしていた中で、レッスンの一環としてヨガに出逢った。得点を競ったり魅せることに重きを置く世界にいた間には感じたことのない動の中の静寂に心打たれた。ヨガの叡智を学ぶにつれ、自身が体操選手だった頃にメンタル面が弱かったことを振り返り、スポーツ選手がヨガをすれば普段の力をそのまま本番で発揮できる助けになると確信した。スポーツ選手専門のヨガインストラクターを目指すきっかけだった。しかし、ヨガの効果は思いがけずも、自分の身体にあらわれた。ヨガを始めてから、長年苦しんだアトピー性皮膚炎がいつの間にか治っていたのだ。普段の生活も脅かされるほどの痒さだったという。先生の輝くような肌を羨ましく思っていた私は驚嘆した。
 「ヨガが、自分自身を偏らないところに戻してくれるんですね。中庸や中道を教えてくれます」と話される先生を見ていて、初めての時に感じた圧倒的な“健やかさ”は、見た目の健康的な美しさだけではなくて、その内面からきていたのだと繋がった。
 現在はいくつかの場所でヨガの指導を行なっているが、特にスポーツ選手の指導を専門にというこだわりはなくなったという。ヨガを通してさまざまな職業や、いろいろな立場の人々に出会うが、どこに住んで何をしていようと、皆それぞれに現実社会を生きて何がしかの重荷を背負っている。「みんな同じだな」というのがヨガを教えることを通して得た実感だが、少しでも元気になってもらったり、気持ちが良いとレッスンに通ってくれる人がいるのが無性に嬉しい。



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エーカ・パーダ・シールシャ・アーサナ

 ヨガをする目的は人それぞれだが、筆者の場合、何かにつけて頑なな自分が「偏らずにいるということ」に特に惹かれる。今は、何よりも己の身体をよく知って身心のバランスと健康を保つことを目指したいと思う。それには、単に長く続けたり、先生のアーサナ(型・ポーズ)をただ真似するだけでは効果があがらないようだ。とりわけ大切なのは、“意識”を持った動きであるらしい。
 レッスンの前に、先生は、いつも少しお話をされる。例えば秋、黄金の稲穂は、どれほどたくさんの陽の光や土や水を吸収し、お百姓さんの世話を受けて、大地に根を張り、上へ上へと伸びて、立派な稲を実らせたか。お話のあとは、どっしりと大地に足を根付かせながらも上へ上へと伸びるようなアーサナを重点的に行なう。このイメージがアーサナを行なう際に、重要なはたらきをする。そのことをたえず意識しながらイメージを手足の隅々にまでゆきわたらせると、心地よさが身体をおおい、豊かな実りのような感覚が味わえる。これは素直に嬉しく楽しい。

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エーカ・パーダ・カウンディニャ・アーサナⅡ

 先生は解剖学も勉強されていて、例えば、「尾骨をすくい入れるようにして、上へ伸びようとする力で背筋を伸ばしましょう」などと、非常に細かく身体の動かし方を説明してくださるので、身体に無理な負荷をかけての故障が未然に防がれる。先生の明るくよく通る声も、イメージを膨らませるのにとても役立つ。自分と地球との繋がりを意識し、身体のことを解剖学的にしっかり理解してアーサナを行なうと、当然ながら効果も大きいだろう。
 自身の身体でありながら、あまりに知らない部分が多すぎることに唖然とし、「ここも私の一部だったのか。今まで気づかずにいて申し訳ない」という思いを抱かざるを得なくなる。そうやって、身体のあらゆるところに意識を向けてゆくと、自分の心の内にありながら気づかなかったこと、今まで闇であった部分に光が当たるような感覚が出てくる。
 最初のうちは、さまざまな“気づき”が、まるでどこか知らないところから降ってくるようで、面白くて必死にレッスンへ通った。ふとある日、この気づきは、自分の内にきちんと目を向けることによって、今まで聞こえなかったこと、見えなかった部分に焦点が当てられたに過ぎないことがわかった。また、身体に繊細になると、食べ物にも敏感になる。徐々に身心も快復したことで、ヨガに対する信頼も増した。

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三日月のポーズ

 身心一如という。
 ヨガを始めて半年にしかならないのだから、大きなことは言えないが、身体をなおざりにすると、とたんに心もぐらぐらする。
 先生のお誘いで、挫折していた坐禅にも通うことになった。
 昨秋、大分の万寿僧堂に、西尾宗滴老師をお訪ねして、お話をお伺いしたが、その際に、現御住職の佐々木道一老師ともお話しさせていただくことができた。話題がヨガに及んだとき、老師がおっしゃった。
 「私は、一生坐禅をしたいのですよ。だから毎日歩いて足腰を鍛えています。動く坐禅ともいえるようなヨガも是非やってみたいですね。なかなか時間がなくて実現できていないですが、坐禅だけだと、膝や腰や股関節が故障しやすいですからね。ヨガで身体を整えながら、大好きな坐禅を一生していたいですね」。
 結跏趺坐は、ヨガにもあるポーズだが、下半身に非常に負荷のかかる姿勢らしい。「長時間体勢を変えずに坐るということは、一番難しいことなので、そのためには、股関節を緩めるアーサナをしたり、かなりの準備をしたほうがいいですね」と先生は言われる。私の場合は、単に坐っているだけの身心の辛さから手放していた坐禅だが、ヨガで身体を整えながら坐れば、続けることができるかもしれない。
 それにしても、はるか古より、心と身体の相関を深くとらえて、「坐」にゆきついたインドの叡智はすばらしい。ゆっくりと自分のペースで深めてゆくことができれば、今度は逃げないでいられるかなと思っている。
【ヨガ講師 伊藤加奈子】
京遊学舎
〒604-0883
京都市中京区間之町竹屋町下ル楠町607
tel:075-212-2044
*その他いくつかのスタジオでも担当レッスンあり

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服飾評論家の市田ひろみさんにより建てられた学び舎、“京遊学舎” 様々な講座が開催されている