去る12月12日、神戸市の山寺に住まっていた筆者の兄弟子E師が京都にて急逝した。享年56。
教区の支所長として、大本山妙心寺の開山、無相大師の開山毎歳忌に参列し、そのあと、修行時代の仲間との久しぶりの宴席で酒を酌み交わした後のこと。あまりにも早すぎ、あまりにも突然だった。
だれもが思いもかけていなかった。
E師は兄弟子でもあるが従兄でもあり、大阪の在家に生まれたEさんは、大学生になる頃、発心して私の父の弟子となって花園大学に入学し、私の自坊で小僧としての生活をした。
私は当時小学生で、実兄弟の中で長男であったから、まるで兄ができたようではしゃいでいた記憶がある。Eさんは4人兄弟の末っ子であったから逆に私を弟のように可愛がってくれた。
当時流行っていた北山修作詞のフォークソングが好きで、ギターを弾いて私に教えてくれた。
私のような年齢にして当時の歌を歌えるのはEさんの影響である。
また、私が富士山の裾野の三島・龍沢寺に掛搭したのも、評席までつとめられたEさんの修行した道場であるがためでもある。
E師は妙心寺まで自家用車で出てこられていたために、持ち主を失った車をもう一人の兄弟子とともに、神戸のお寺まで搬送した。車のステレオには前述のような懐かしい曲がまとめられたオムニバスCDがセットされていた。
「♪命かけてと 誓った日からすてきな想い出 残してきたのに……」と北山修作詞の「あの素晴らしい愛をもう一度」など懐かしい曲が流れてきて、運転しながら思わず涙が頬をつたった。
妙心寺開山・関山慧玄禅師(無相大師)は語録を残されなかったが、2つの有名な言葉が伝わっている。
その一つが「慧玄(えげん)が這裏(しゃり)に生死(しょうじ)なし」である。人は生まれたら必ず死を迎える。しかし、そんな生と死というようなものを超越したところに境涯があるというお言葉だ。
平成21年には、この無相大師の650年遠諱を迎える妙心寺で、E師は、その開山様と同じ日に開山様の近くで身罷ってしまった。まるで、開山様の言葉を身をもって示すが如き逝きかただった。