季刊『禅文化』222号を発刊いたしました。
編集者よりご紹介させていただきます。
★好評連載「吾が師を語る」。今号は、三島・龍澤寺の後藤榮山老師が、山本玄峰・中川宋淵・鈴木宗忠三老師についてお書きくださいました。目のご不自由だった玄峰老師の出家のご因縁―「私のような者でもお坊さんになれるでしょうか」。「勿論なれる」。「しかし私は目が大変不自由でございます。お経の文字もよく見ることができません」。太玄和尚(玄峰老師の得度の師)曰く、「人間の目なんていうものは、目の前に襖一枚あれば先は見えんじゃないか。しかし心の目を開けば、見えないものは何もないぞ」。
俳句をよくされた中川宋淵老師は、「花の世の花のやうなる人ばかり」と限りなき大肯定のご境界を詠っておられます。鈴木宗忠老師は、「老師、公案というものは何のためにするのですか」という榮山老師のご質問に、「見性(悟り)の世界の景色を観るんじゃな」と答えておられます。
越格の三老師のご日常がありありと現前いたしております。
★かつて森本省念老師のおられた長岡禅塾。今号より、現新命老師による「長岡禅塾物語」が始まりました。
★画家の伊藤紫虹さんが「月」に纏わるエッセイを、平塚景堂老師はジストニア(局所的筋失調症)によって右腕を奪われたピアニストの「復活」を取り上げておられます。寺庭さんのリレー・エッセイは、舞鶴市東光寺寺庭の大道るり子さんの登場です。また連載「技を訪う」では、所員の川辺紀子が建築家の木島徹さんを取材しています。
*もくじ*
吾が師を語る――
山本玄峰老師・中川宋淵老師・鈴木宗忠老師/後藤榮山
禅宗語録入門読本 六祖と青原行思/小川隆
講読 『信心銘夜塘水』(五)/西村惠信
南宋・金の衰亡と禅 (下之上) 要説・中国禅思想史31/伊吹敦
長岡禅塾物語 「掃除の歌」/北野大雲
善財童子の求道ものがたり (二十三)
至る所に到って利益をもたらす究極の遊行者「遍行外道」/小林圓照
不期明日 明日のいのちはとにもかくにも/姫野晴道
復活/平塚景堂
聖域巡礼 (二十五) 青蔵鉄道を行く(四)/李建華
碧巌録提唱(十六) 第三十七則 盤山三界無法/山田無文
技を訪う 建築家 木島徹/川辺紀子
月を唱う/伊藤紫虹
グラビア 丈山文庫蔵 禅林墨蹟 白隠と東嶺
・スNB寺庭さんのリレー・エッセイ 田舎の寺で/大道るり子
和尚さんの身体講座 (三十二) 安楽坐禅法入門(二)/樺島勝徳
骨の模型の連想ありて/佐伯裕子
表紙解説/藤元裕二
いっぷく拝見
編集後記〈禅文化漫筆〉
『禅文化』バックナンバー
禅文化研究所の本
カット・左野典子