10月30日の大阪特別講演、31日の高野山特別法話にでかけてきました(研究所とは関係無く、個人的な希望からです)。
二日間の講演に連続して参加させていただき、法王猊下の御言葉を拝聴し、終始一貫して伝えようとされていたのは、「世界中の一人一人が、他者への相互理解を持ち、それを深めてゆく事によって、より良い世界を創造してゆく事。その為に我々がどうあるべき、どうすべきか」という事であったかと思います。
チベット仏教の最高指導者という立場にありながらも、何らかの信仰ある者のみならず、信仰無き者には、“世俗の倫理観に基づいて、思いやり、慈悲心を高めてゆく方法、そのように生きる為の教育の重要性”を説かれました。法王ご自身が、深い深い他者への理解によって、どのような立場にある人にも届くようにお話をされる事に深い感銘を受けました。菩薩の化身とは、何百人に語っても、その人一人一人の所へ届くよう、近く寄り添ってお話してくださるものなのだな……と感じました。
難しい哲学的な話、宗教学の話も交えての講演でしたので、個々に理解度は違えど、必ずやそれぞれの胸に響くものがあった事と思います。
今回、大阪講演では、般若心経に説かれる“空(くう)”の教えについて大変明解な解説がなされました。
法王御自身が政治的に困難な局面にありながらも、“空”への理解を深める為の瞑想を既に50年以上も続け、“空”への理解を自分自身に“馴染ませてゆく”事によって慈悲心を養い、他者への愛を持ち、相互理解につとめておられるお姿は、全人類の良き手本であると思いました。法王ご自身が50年以上実践されて、「良い結果が見え始めています」との事。
活仏であり、観音菩薩の生まれ変わりであるから、その事のみで偉いのではない。たゆまぬ努力を今もなお続けておられる事によって裏付けられる尊さがあるのです。
永源寺の亡き篠原大雄老師が、「悟りなんてものはわかりませんね。日々の積み重ねじゃあないですか」と仰っていた事をふと思い出しました。
私自身は、ヨガの際の瞑想や、坐禅をする際、どのように行うべきかちょうど迷っている所でした。とどまること無く押し寄せるつまらない煩悩に坐を妨げられるよりは、瞑想法を習うべきかと考えていた所だったのです。
ちょうどそのような時に今回のお話をいただけたので、まだまだ色々とわからない事だらけですが、“空”への理解を深める為に、法王様が仰った、まずは①教えを聴き、②自身で考え、③瞑想して馴染ませる。そして、その事によって、自分を含め、全ての生きとし生けるものが、実体に対するとらわれから離れられる事(空への理解を深める事)を願う。という事を実践してみようと思います。
ポイントは、“馴染ませる”という所かなと思っています。人間誰しも、有り難い話を聴いて、その時はわかったような気持ちになったり、心洗われたように思っても、やはり塵が積もったり、その時々の感情に振り回されて自身を見失ったりするもの。
そんなゆり戻しが来ても、また話を聴いて、考えて、ちょっとずつ積み重ねる、自分に馴染ませてゆく……。一気に変化が現れて素晴らしい人間になる…というようなおとぎ話を求めず、三歩歩いて二歩下がる…であっても、死ぬその時まで地道に続けられたら……と思うのでした。法王様のような御方であっても、いまだに日々、自身に空への理解を馴染ませるよう瞑想されているのです。
また、哲学的見解を持つ宗教に自分が属している、信仰していると言うのであれば、その根拠を明らかにせよ。その為に勉強をしなさいという事を強く仰っていました。
お話の中で、あらゆる経典の中の一句を示し、その海のように深く広い智慧知識の中を縦横無尽に泳ぐ法王猊下。私はその浅瀬で溺れそうになっていました。明らかに勉強不足です。
日本では宗教離れ、寺離れなどが叫ばれてもう長いかと思いますが、寺院においても、その人その人の年齢、段階にあわせた確かな仏教教育が必要なのだなと思いました。私の個人的な思いからすると、仏教の教えは魅力的に違いないのだから、そのエッセンスを学べば、離れるわけがないと思うわけです(いえ、離れる人もいるでしょうが、それは自由です)。
チベット人の信仰心の厚さは、もちろん環境的政治的な背景もあるかとは思いますが、チベット人コミュニティにおいて、徹底した教育があるからです。
神道の教えが日本人には深くしみわたっており、哲学的見解は持たずとも、手を合わせる……といった所が多分にあり、仏教に関しても、「先祖が仏教徒だから」「家に仏壇があるから」なんとなく仏教徒。という人が多いと思います。
ですが、心さまよえる現代だからこそ、いま一度仏教の教えを見直せるのではないかと思うのです。
仏教の素晴らしいエッセンスを檀家さんやその他の寺を訪れる人にも馴染ませるよう、日本のお坊さん達にも頑張ってもらいたい!!!と思ったのでした。
追伸:昨年京都を訪問されたチベット僧の法話も面白いものでした。こちらからあわせてどうぞ。