私が兼務している檀家3軒の小さなお寺(実は由緒はかなり古い)があり、その開基の家系で今も檀家総代をされているお家のお婆さんが、さきごろ97歳という天寿を全うされ逝かれました。
自坊の檀家さんでもご自宅での葬儀が少なくなってきたなか、自宅にての葬儀。そして役僧も両班揃った六役僧です。
祭壇は農協から借りた比較的質素なものですが、その回りには親戚縁者から届いた、果物や乾物の盛り籠で所狭しでした。
まぁおよそ都会ではもうあり得ないような旧来のお葬式をさせていただき、私も未熟ながら導師として精一杯のお見送りをさせていただきました。
このお婆さんは晩年2年近く入院されてしまいましたが、その直前の一昨年の秋には自転車に乗って自坊にダイコンを届けてくださったり、大変お元気で、色々と気にかけてくださる方でした。村でも老人クラブの人たちと仲良くされ、多くの人たちから親しまれて来られた方でした。
ご主人も10年前に亡くなっていますが、ご夫婦とも絵に描いたような篤信家でした。
だからこそ、寒い中でも多くの方が出棺を見送られ、また最近よくありがちな当日の初七日ではなく、正当の日に改めて勤められた初七日(上記写真)にもご近所ご親戚が20人以上も集まられて盛大に勤められたのだと思います。
これをお読みの方は、そんな面倒なこと、まだやっているのか。葬祭ホールを借りたら楽だし、初七日も葬儀当日にやってしまえば簡単なのにね、と思われるかもしれません。しかし、以心伝心(心を以て心に伝える)ともいえることは、こういった面倒なことを面倒だと厭わず、一所懸命に勤めることなのではないかと思ったのです。
95にもなったお婆さんが自転車に乗ってわざわざダイコンを届けてくださる。うちにだけではなかったようで、私がこのことをお通夜で話すと頷いていた方が何人もおられました。気持ちが無かったらできることではありません。こういうお気持ちが、遺された家族の人にも繋がり、私たちにも繋がり、そしてお葬式には結局、こういうふうに応報となる。
これが本当の「絆」なのではないでしょうか。