京都を自転車で走っていると、こういった碑をそこここでみかける。
これは、かの本阿弥光悦の屋敷跡を標すもの。
鷹峯に移る前には、堀川今出川の白峯神社近くに居を構えていたようだ。
室町時代より、代々刀剣の鑑定、磨き、浄拭を家職とした本阿弥家に生まれた光悦。
寛永の三筆の一人でもある(近衛信尹・松花堂昭乗)。
樂家の二代目常慶に樂茶碗のてほどきを受け、三代目道入とも親交厚く、光悦作の茶碗は樂家と同じ釉薬を使い、土を使っていても(樂家に、土が欲しい、釉薬が云々との消息などが残っています)、その趣は異なる。
字のみならず、茶碗・蒔絵・その他あらゆる工芸品に、彼の非凡な才能を見て取れる。
生業として芸術品を作り出すのではなく、なぐさみごととして数々のものを生み出したからこそ、その味わいは違うのだろうか。
光悦の事に関しては謎めいた部分も多く、興味をそそられて仕方がない。
年に何度か光悦寺にお参りし、いつも墓に供えられている白い菊をみつつ、思いをはせるのだ。