禅はいずこに……


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羽釜で炊いた、菜の花とじゃがいものスパイスごはん(バスマティ米)

「京都なんてところにいたら、禅が身近ですよねぇ」。
というセリフをしばしば耳にします。
確かに、多くの禅寺があり、家の前を雲水が托鉢して歩き、坐禅会なども頻繁に行われ、環境としてはとても“禅”に近いように思います。
ですが、我が研究所から刊行しました、所長・西村惠信の著書『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』にもありますように、「禅はどこにでも転がっている」わけです。恵まれた環境があっても、無い人には無い。環境がなくとも、ある人にはあるのかなと思うわけです。
禅ってそれじゃあ何なの?ってことになるのですが……。
私事ですが、友人がお店をオープンします。彼女は子育てをしながらご主人と二人三脚で、古い町家の改装なども自分たちで工夫して行い、開店の準備をすすめています。
まだオープンはしていないのですが、彼女の作る料理が大好きで、お願いしてお昼御飯をいただきに、友人とお邪魔しました。
卵や牛乳、肉・魚を使わないお料理で、いわゆる今流行りのマクロビ、精進料理のようなお料理なのですが、どこにも属さない、ここでしかいただけない、彼女流のお料理なのです。
お料理をいただいていると、私の友人が「いつもよりよく噛んで食べられる」と。
それぞれの素材が、今まで食べたこともないような方法で調理され、彼女の感性によってスパイスが使われたり、とても工夫されているわけなのです。
すべてが新鮮で、香りにも食感にも敏感になり、おのずと五感を研ぎ澄まし、よく噛んで味わっていただくようになり、明らかに、心も身体も喜んでいました。
私が私の主人公となり生きている彼女を見て、また、素材の命を生かし、それを食する者の命(身体も心も)をも生かす料理を作る彼女に、「禅のある人だな」、「ここへ来ると、そこらじゅうに禅が転がってるな」と思い、味わい深い良い休日となったのでした。
みなさんの周りにも転がっている“禅”、探してごらんになってみてください。