最近、通勤電車で読んでいるのがこれ。
1947年生まれのリディア・デイヴィスというアメリカ人女性作家の著した短編小説集『ほとんど記憶のない女』です。
51の短編を集めて有るのですが、わずか数行のものから、何ページにもわたるものまであります。書名は、その中の一つです。
それぞれにとても不思議な世界観がありますが、どの場合も、読んでいると、何か自分がその世界にポツンといるという気になってきます。どの短編にも登場人物が何人かいるのですが、それぞれの人が語るわけでもなく、主人公が内観している風な書き方なので、そんな風に感じるのではないかと思います。
禅的な思考をさせられる物語ばかりです。じつはそれぞれの物語を読んでいて、気が付くと主人公の思考がまるで自分の思考のような感覚に陥ってしまいます。主人公の思考はたどれば著者の思考であるわけですが、これが自分の考えなのか、あるいは主人公の、あるいは著者の意識なのか、ちょっとわからなくなってくるような感覚なのです。自他がなくなっていくといえばいいでしょうか。
短い一話を引用してみましょう。
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認めない
男は女が自分の意見を聞かない、と言った。女はそうじゃない、男が自分の意見を聞かないのだ、と言った。問題は網戸のことだった。ハエが入ってくるから閉めておくべきだというのが女の意見だった。男の意見は、朝一番はまだテラスにハエがいないので開けておいてもいい、というものだった。だいいち、と男は言った、ハエはほとんどが家の中から出てくるのだ。自分はハエを中に入れているというより、どちらかといえば外に出してやっているのだ。
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なんだか公案に出る話頭みたいなのです。
興味を持たれた方は、読んでみられては?
実は私も、まだ読了していないのです……。短い話でも何度も読んでみたりしてまして。
『ほとんど記憶のない女』 リディア・デイヴィス/岸本佐知子訳(白水社・2011/2/10発行)