私事ですが、母方の郷里の出雲にて、先祖の墓を守る人がいなくなる為、関西に墓を移してきました。
幼い頃、夏休みに遊びにゆくと、親戚中でお参りをしたものです。
そんな、先祖代々が眠るおっきなおっきなお墓が無くなる事に一抹の寂しさを覚えながらも、「これで墓参りがすぐに行けるようになった」と喜ぶ母や、母方の親戚を見ていると、「やはり、良かったのだな」と嬉しい気持ちになります。
小さい頃の記憶なので定かではありませんが、出雲の墓では、墓の下の扉を開けると、骨壷を納めるのではなく、そのまま骨を埋める(というよりも、土の上に返す・2~3代前までは土葬)ような形になっており、少し前に納められた頑強な骨はまだ土に返っていないのを見た記憶があり、幼いながらに、命のリレーというものを感じていたのだと思います。
閉眼供養の為に出雲に帰っていた母が、「あなたの曾祖母か、その上のおばあさんかわからないけど、鼈甲の櫛とかんざしが出てきたよ」と言ってきた為、写真を撮ってもらってから、またこちらで新しい墓に納めました。
「先祖を大切に。あなた一人で生まれてきたわけではない」と言葉で言われ、当たり前のことであるので意識しようとしても、形が見えないものを意識する事はなかなかに容易ではありませんが、おばあさんが実際に使ったであろう櫛やかんざしを見て、私の心は、何か表現し難いのですが、とてもほっこりと温かく、嬉しくなったのでした。
自分というものを意識して、前に進もう、生きてゆこうとする時、強烈に先祖の存在を感じる事は、命のありがたさ、尊さを思い、自らが歩む道においてパワーになってくれるものだなと改めて思った出来事でした。