春の訪れ -東大寺二月堂修二会-


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関西に春の訪れを告げると言われる、東大寺二月堂の修二会に初めて参拝してきました。
御存知の通り、その年に選ばれた練行衆と呼ばれるお坊さん(行者)たちが、二月堂におはします十一面観音様に、過去の罪を懴悔し、その功徳により仏教の興隆、天下泰平、五穀豊穣などを祈る行事です。
ニュースなどでよく見られるお松明が終わった後、二月堂内では深夜(この日は深夜1時前まで)まで法会が続きます。
最初は、寒さで耐えられなくなるのでは……と思っていましたが、だんだんと寒さも感じなくなり、「我々日本国民に代わって、厳しい行を執り行なって下さっているのだな。この祈りは、ほんとうにありがたいな……」と頭の下がる思いがこみ上げてきます。
さて、そんな厳しい修行と祈りの場なのですが、白洲正子著『十一面観音巡礼』に、白洲さんが円地文子さんに初めてのお水取りはいかがでしたかと問うと、「昔の芝居みたいで面白かった。……こんなことをいうと、しかられるかも知れないけれど」と仰ったとあります。
確かに、お松明が終わった後、堂内での法会を拝見するまでに食事をしてみたり(お酒を呑んでいる一行も)、堂内も、人の出入りが比較的自由で、厳粛ながらもおおらかな様子が、まるで芝居見物のようであったのは確かなのでした。
このひとつの法会に、奈良が発祥で神道の儀式と縁の深い猿楽、そこを原点とするお能、狂言、そして山岳信仰の山伏の儀式めいた事、あらゆるものが入り交じっているようで、なんとも不思議な世界にいざなわれた感を抱いています。私は本当にあの夜、あそこにいたのだろうか……と思うくらいに。
この奥の深さは、そのまま日本人の、日本の文化や伝統の奥の深さを反映しているような気がしました。
関西に春を告げるお水取りが終わり、明日は“暑さ寒さも彼岸まで”のお彼岸。
今年はいささか寒い春の訪れとなっていますが、ようやく、本格的に春めいてくることでしょう。