東北の被災地を訪ねた二日目。3月27日の朝7時に塩竃のホテルを車で出発。
一路、陸前高田の慈恩寺様に向かいました。三陸の高速は3月末まで無料期間。そのせいもあってか何ヶ所も渋滞していました。まだ仙石線など鉄道が復旧程遠い状態なのに、どうして無料期間を終了してしまうのか、素朴な疑問もわきます。
途中、気仙沼や南三陸町でも、一年たって瓦礫はあまり散らばっていないとはいえ、荒涼とした色のない更地が広がっていて、一年たってもまだこの状態であることを目の当たりにして愕然としました。
陸前高田では、ご存じの通りの千本松は、1本だけが流されずに残りましたが、枯れてしまいそうな様子です。
これからここをどうしていくのでしょう。また津波が押し寄せる可能性を考えると、家を建てることなどできないのではないかと思ってしまいます。津波に負けないような高い高い防波堤を作るのでしょうか、はたまた、あえて自然に抗わないで今後も受け入れていけるのでしょうか。
塩竃から車で3時間半、陸前高田の慈恩寺様を訪ねました。和尚さんに出迎えていただき、本堂で大悲呪一巻をお勤めし、そのあと和尚さんから少し当時の状況を聞きました。
防波堤に見えているその赤い灯台は完全に津波に隠れてしまい、本堂の前まで津波がきて、流された車が本堂前にまで来たそうです。しかし、建物の中は浸水しなかったので、大きな書院が長らく避難所となっていました。近隣の人たちにはありがたかったことでしょう。
そこには、避難していた女の子が書いた詩が掲示されていて、目にとまりました。
悲しくなんかないさ 悲しくなんかないさ
津波が来たって 地震が来たって
世界中の人が ついているから 元気になれる
まりえ
こんな気持ちを保っていくのは簡単ではないでしょうが、この子供達がこれからの日本を支えてくれるのだろうと思えて、力強い息吹を感じました。(つづく)
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