朝日と夕陽

亥年を迎えてから、はや半月。もう今年の24分の1が終わったことになる。
よく言われることだが、日本は敗戦後60年で、日本人としての大切なものをどんどんなくしてしまっていっているのではないだろうか。
例えば、大晦日から元旦。
ただ日が変わるだけといえばそれだけだが、やはり、ただそれだけのことではないと思う。
私が子供の頃、元旦の朝には必ず、下着から上着にいたるまで新しいものを着させてもらった。
そういう区切り、けじめが、今の時代ではなくなってしまった。
物が溢れているから、いつも関係なく新しいものを手に入れ、好きなときに身につけてしまっている。
そういうことになれてしまって、感謝の心も無くしてしまっていっている。
アメリカナイズされ、個人主義が高じてわがままになり、自分だけの生活のまま社会に出てしまっている人たちが世の中に沢山いる。
通勤途中でもそういう人たちを沢山見かける。電車の中で化粧する女性、禁煙の駅のホームで喫煙するビジネスマン、車内で着メロを鳴り響かせる高校生。
どこかに書いてあったが、現代社会では、部屋で寝ていたときの姿のままで外出できる人が、とても沢山いるらしい。信じ難いことだ。

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そういえば、明治生まれの今は亡き私の祖母は、生前、朝夕に山門を開け閉めするのが日課だったが、その時にはかならず、朝日に向かって手を合わせ、夕日に向かって手を合わせ、月に向かって手を合わせていたのを思い出す。子供の頃、私もよく付き合わされたものだ。
今思うとと、祖母にとっては毎日毎日が元旦と大晦日のような心構えだったのかもしれない。
見習わなくてはいけないことだ。