狩野一信画「五百羅漢図 浴室」(増上寺蔵)『日本の美術534』より
ヒット中の映画「テルマエ・ロマエ」をレイトショーで見てきました。
ネタばれはよくありませんので、「面白かった~! オススメです!」とだけ、申しあげたいと思います。
映画のストーリーとはまったく関係ないのですが、今日は“温泉と禅僧”のかかわりについて。
温泉が病気や怪我に効くというのは、日本人なら誰でも知っていることだと思いますが、実は、それを利用したり、ひろめたりしていたのは禅僧でした。
なかでも有名なのは室町時代の曹洞宗の禅僧の源翁心昭で、いろいろな場所で在地の神様(山神や竜神)に引導(授戒)をおこない、その返礼で、寺を守護してもらったり、泉や温泉を出してもらったりしたと伝えられています。
源翁さんが開いた温泉として有名なのは、熱塩温泉(福島県耶麻郡)です。
禅僧の温泉好きは、重要な文学作品を生み出したことでもまた知られます。
明応9年(1500)5月5日~23日に有馬温泉で湯治していた夢窓派の禅僧の寿春妙永と景徐周麟との間で交わした聯句の集成が「湯山聯句」です。またそれに一韓智■(コウ)が注をつけたのが「湯山聯句抄」という作品(抄物)になります。
室町時代の京都にいた五山僧にとって、もっとも親しみがあった温泉は、有馬温泉だったようです。
「湯山聯句抄」には「垢を洗い、病を治さうとてかと云に、いや、元来法身は清浄なれば、洗ふべきの垢もないぞ。治すべき病もないぞ。さるほどに、今湯に入るは、この無垢を随分至極と思ひ、無病を至極と思ふ、この心を洗ひ去けんとてあるぞ」とあります。
当時の禅僧の一般的な考えかはわかりませんが、「元来、法身は清浄なのだから、洗いおとすべき垢や治すべき病はない。無垢や無病を当たり前だと思う心こそ垢がついて病んでいるのだ」と一韓は述べています。
「無垢や無病を当たり前だと思う心こそ垢がついて病んでいる」とはなかなかおもしろい発想だと思います。現代人のわれわれにも何かしら参考になるかもしれませんね。