先日より南蛮づいている友人と私は、かのフランシスコ・ザビエル像(教科書に載っている、皆が知っているあれです)が見つかった隠れキリシタンの里(茨木市千提寺地区)を訪ね、キリシタン遺物資料館にお邪魔しました。
そちらの受付にあった、茨木市の史跡などを紹介した地図に見入ってしまいました。
「磨崖仏が近くにある……」。
これは行くしか無い!と訪れた上音羽の磨崖仏。
車を降りて、いまいち道がわからぬままに、尋ねる人も全くいない中を歩いてゆき、ようやく農作業をしている方に遭遇。
「磨崖仏はどこにあるんですか?」。
「あぁそれならうちの前やわ」。
なんと御宅の真ん前にあったこの磨崖仏。
幅がおおよそ6メートルもあり、約30体の仏さまが彫られており、「甲戌天正二年十一月十五日」(桃山時代)と刻まれているそうです。
このあたりの村人たちが、“現世があまりにも厳しい為、来世に望みを託し、生きている間に自分自身の姿を石に彫り込んだもの”だそうな。
修行僧などが彫った、京都や奈良や滋賀の立派な磨崖仏も良いのですが、こういった庶民の“思い”が刻まれたものも、またしみじみと心を打つものですね。
ちなみに、ここからもっと山深いところに、絶海中津隠棲の地の石碑があるようでした。やはり足を運んで訪れると、色々と豊かに想像できますね。
余談ですが、磨崖仏のありかを教えて下さったおばさま、「抜きたての堀りたてやから、持って帰り!」と、たくさんの玉ねぎとじゃがいもをくださいました。都会育ちには涙するほどに感激の交流です。
普段は、オーガニック野菜などに多少こだわっている私ですが、このお野菜がどうかなどという事はどうでもよく、愛情たっぷり育てられた野菜は、何ものにも代え難いほどに光り輝いていて、命の有難さを感じ、生きた教えをいただいた感ありでした。