皆さんこんにちは。
もうこのブログで何度もお話させていただいておりますが、先日はまた、母校にて恩師・松田高志先生を囲んでのお勉強会でした。
この日は、神戸女学院が初めての方もいらっしゃいましたので、ヴォーリズ建築の粋を皆で堪能し感動した後、先生のご著書、『いのちのシャワー』より、-自然の恵み-という文章を読み、先生にお話いただき、集った皆で感想を話し合い、そこから何かそれぞれが持ち帰りました。
先生は、奈良の御所市で畑をなさっていますが、エンドウをご覧になると、いつもある時期になるとにょきにょきと大いに伸び、たくさんの房を付ける為、「育つ」という言葉を思い浮かべられるのだそうです。
「育つ」の語源説は色々ありますが、先生のお気に入りは、小さな苗や苗木が、添木につかまり、支えられながら生長することから来ている、「添イ立ツ」という説。
なぜなら、これが実際的に「育つ」という事の本質と思え、さらに、親子に例えると、子どもはどういう力を持ち、親はどういう助けをすべきかがよく現されているからなのだとか。
エンドウは、茎が柔らかく、必ずや添え木が必要だそうですが、少し触れると折れてしまう。それでも、適当な添木さえあれば、にょきにょきと大いに伸び、収穫しきれぬほどの実りをもたらすわけです。
この、“適当”っというのが、ほんとうに難しいですね。
親子関係のみならず、師弟関係にも、友達づきあいにも言える事ではないでしょうか。
つまるところは、自分が何かの添え木になる場合は、相手をよくみつめ、それ以上に自身をみつめるしか無いというところかな……。己事究明。やはり禅だ!
最終的に全てそこに行き着いてしまう私なのでした。
それにしましても、あの美しい御所の地で、大和三山を眺めつつ畑仕事をする先生。
思い浮かべるだけでなんとも温かい気持ちになります。
そして、エンドウの育つ様を見て、先生は様々な大切な事、芯、真理というものを自然から学んでおられるのだな、やはり、全ての答えは自然にあるのかもしれないな……と思った休日の一日でした。