名碗と世に名高い茶碗が数々並ぶのを拝見しに、南禅寺近くの野村美術館へ。
茶を点てる器とはふしぎなもので、抹茶碗でなくとも、「あ、これで茶が点てたいな…」と思うものもあれば(昔の茶人が朝鮮の雑器を茶に用いたのがよくわかりますね)、抹茶碗として売られていても、「何故これに茶が点てられよう……」と思うものもあるわけで、では自分はどういった感覚でその判断を下すのだろう?!と思う今日この頃です。
そこには単なる好き嫌い、好みだけでは決してない、普遍的なものがあるのかなと思います。
たまに、若い作家さんが“抹茶碗”と題して作品を展示しておられて、目に入った瞬間に私のどこかが疑問を抱くと、意地悪な事に「お茶のお稽古はどちらで?」などと尋ねてみます。
本当にイヤラシイのですが、自分の疑問を明らかにしたいのです。すると、たいがい習っていなかったりするものです。
茶を点てず喫せずして、どうして茶碗が作れよう……と私などは立腹寸前までゆくのですが、では、茶をしていないと茶碗が作れないか…というと、そうとも言えない事もあり。
そして、私が勝手に思うところの「茶を点てるに値する器」というものが、はたして正しいのか正しく無いのかも、誰が判断できようというものです。
世の中には、抹茶碗と題されて茶碗でないものあり、先生と呼ばれながら先生でない人あり、衣をまとえどお坊さんでない人あり、様々なまやかしがあるもので、もうこれは自分の目を、心を鍛錬して見る目を養うしか無いのだなぁ…。そしてかくいう私も、着物を来て茶人面をしておきながら、茶の無い人間にならぬようにせねばならないな…と自身を律する気持ちになるのでした。
何の話でしょう。お茶碗ですね。
今期やはり素晴らしかったのは、青井戸でした。でもこれも、自分が変わればまた好みが変わり、その時の自分によって惹かれるものは変わるのものですね。
後期も楽しみにでかけたいと思います。
【前期】9月8日(土)~10月21日(日)
【後期】10月23日(火)~12月9日(日)
※ 前期・後期で全面的な陳列替あり。