魂の行き来する道筋


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一絲文守 倶胝図_禅文化研究所蔵

9月28日の朝日新聞の朝刊を手にして、心躍った。村上春樹氏の東アジアの領土をめぐる問題についての投稿が、一面トップに据えられていた。「魂の行き来する道筋を塞いではならない」。
中国は「尖閣諸島」で、韓国は「竹島」で、大騒ぎになっている。それを受けて、日本側も「中国はなんちゅう国や」「韓国ってどうなってんの」と憤慨している。
村上春樹氏の言に耳を澄ませてみよう:
 「領土問題が実務課題であることを超えて、”国民感情”の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状態を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ」
村上春樹氏の著書の印税収入は、国内より外国が上回るという。世界でこれだけ翻訳され、読まれている日本作家は彼をおいてほかにはいないだろう。韓国でも中国でも氏の作品はほぼ翻訳されていて、多くの読者をもつ。優れた日本の製品を愛用する人はいまだ世界に少なからずいるだろうし、その技術に関わる人たちに対する敬意はいささかも揺るがないが、頭に血が上った人たちが、日本製品を踏みつけたとしても、村上氏の翻訳された著作を投げ捨てるだろうかとふと思う。氏の作品に心通わせ得た人なら、「領土問題」ごときにそう簡単に振り回されたりはしないのではないか。「魂の行き来する道筋」が打ち立てられるとはまさにそういうことだろう。
氏の投稿を、一面に取り上げた「朝日新聞」の鮮やかな決断にも目の覚めるような気がした。「もう新聞の使命は終わったな、ぼつぼつ購読をやめようか、情報はネットで事足りる」と感じ始めていた時だったからである。伝統を背負う紙媒体のもつ力と見識に圧倒された。
私は村上作品が好きで、『風の歌を聴け』からずっと読み続けてきた。「彼の書くものは退屈しない」というのが最初からの一貫した感想だ。漱石を読むのと同じくらい楽しい。彼の作品は、これからも何度も読み返すだろうと思っているが、彼の「コミットメント」の姿勢にも強く心打たれる。
「(中略)そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ」。「”我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない”という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう」
一読したとき、本当にハッとした。私もうっかりと、安酒の酔いに足を取られるところだったような気がする。
もちろん、「領土問題は避けて通れないイシュー」だが、「国民感情の領域」に踏み込むことなく、「実務的に解決可能な案件でなくてはならない」としてペンを執った村上春樹氏に、心から喝采を送りたいと思った。