大学時代の恩師・松田高志先生におこしいただく、仲間達との勉強会。
今回は先生のご著書『いのちのシャワー』より、「大空を仰ぐ」を拝読し、先生からお話をいただき、皆で様々な事を語り合いました。
本の中で先生が紹介していらっしゃった、古生物学者 ティヤール・ド・シャルダンのことばが深く印象に残りました。下記に先生のご著書より抜粋させていただきます。
「じつは、科学的に正しいのは、”現実家”ではなくて、”空想家”なのである。彼らの予測が微笑を誘うものであるにしても、彼らは少なくとも、人間という現象の真の大きさに対する感覚を持っているのだ」。
このティヤール・ド・シャルダンという人は、宇宙の壮大な進化とその中での人間の宇宙的意味を科学的に究明しようとした学者ですが、科学者の言葉として、これは大変面白いと思います。現実的な細かな知識より、人間や世界、宇宙の真の大きさに対する感覚の方が、たとえ”空想”のようなものでも、より”科学的”であるということですが、これは、まさに教育においても大切な点だと思います。
実に面白いですね。
ある意味、禅宗の修行とは、この意味での”空想家”になる為の修行のように思えました。
既成概念や囚われから脱却する。ちょうど先日とある老師の無門関提唱を拝聴しましたが、その第四十則、「擢倒浄瓶」にも通ずる話のようにも思え、一人わくわくしていました。
わくわく喜ぶだけではどうにも……。
自分はこの一生でどこまで枠を取っぱらえるでしょうか。