先日、母校・神戸女学院大学のオープンキャンパスがあり、そこに集う高校生の皆さんに対して、クリスマス礼拝のひとときが持たれました。第二次世界大戦中もチャペルアワーが守られたと伝わる我が母校の精神を知っていただくのには、最良の機会だったと思います。
私は、大学生時代のゼミ担当教授(よく登場、松田高志先生)にお誘いいただき、初々しい高校生に混じりお邪魔させていただきました。
讃美歌を歌い、チャプレンにより、その日の主題・説教に合った聖書の一節が読み上げられます。
その静かで穏やかな声を拝聴していると、大学生時代にタイムスリップするかのようで、もう一度女学院に戻れるならば、毎日喜んで礼拝に参加したいと思いました。
女学院では、クリスマスに向けて様々な準備がなされていますが、クリスマスといえばプレゼント、プレゼントといえば神が我々人間にイエス・キリストという人をお遣わしになったのは最大のプレゼントではありますが、女学院も、アメリカより海を超えて来られた宣教師、ダッドレー女史と、タルカット女史のお
2人が、御自身たちが持っているものを日本に、日本人にプレゼントしたいという思いから、137年前に創立されました。
自身が持っていて、少しでも他に分け与える事ができるものは、プレゼントする、分かち合う。その建学の精神は今なお女学院に、女学院生に引き継がれています……云々。
私も母校では様々なプレゼントを受け取り、今なおその影響を深く受けていると思っています。教育の場に、土台となる教えがあり、筋が通っているという事の大切さについて思いを馳せます。
また、ヴォーリズ建築の校舎で過ごす4年間も、知らぬ間にホンモノを見る眼、感じる力を養ってくれていたと、近頃になってひしひしと感じます。環境はとても大切で、知らぬ間に影響を受けるものです。
チャプレンからのお話の後は、さらに讃美歌を歌い、しばしの時間、皆で黙祷。
坐禅も好きですが、パイプオルガンの荘厳な響きの中で捧げる黙祷も心落ち着くものです。
人間は、わざわざ違いをみつけては比べてみたり、否定してみたり、あーだこうだと言い合いますが、この静寂な時間を尊び、内にある仏性に触れる、神と出会う事に何の違いがあろう……と思いました。
オープンキャンパスにいらした高校生の方たちにも、このひとときは魂に響いた事かと思います。
花園大学の安永祖堂老師が、キリスト教の修道士・修道女との交流や、聖書やキリスト者の書物から気付かされる事は大いにあり、またその逆もあるものだという大変興味深いお話をよくしてくださいますが、他を受け入れる気持ちを持てば、それこそ思いがけぬプレゼントがあるものだな……と思う今日この頃です。