シンポジウム「禅僧がみた震災・原発 ~そしてこれから~」


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一昨日の12月19日夕刻、花園大学国際禅学科主催で、公開シンポジウム「禅僧がみた震災・原発 ~そしてこれから~」が開催されたました。場所は京都駅近くの「キャンパスプラザ京都」4F・第2講義室。
仕事を終えて駆けつけ、なんとか最初から聴講することができました。会場には約150名ほど来られていたでしょうか。僧侶らしき方も少なくないようです。
司会進行は、自らも何度も東北でのボランティアを経験した吉田叡禮師(花園大学国際禅学科准教授)。
まずは下記の順で三者による講演がありました。
 「463のご縁」 大内顕龍師(仙台市・東福寺派光明寺副住職)
 「福島から何を学ぶのか? ~私たちの公憤~」田中徳雲(南相馬市・曹洞宗同慶寺住職)
 「悲嘆共感相対 ~傾聴ボランティア養成について~」栗原正雄師(臨済宗妙心寺派教学部長)
三者三様のお話で、それぞれに感じたところを記したいところですが、中でも私を含め来場者の大部分の方は、原発から17キロのところにある同慶寺住職、田中徳雲師のお話が、今更ながらに心に突き刺さったのではないでしょうか。
田中師は、震災前より福島原発が近くにあるということから原発に関する勉強会に参加したり、自ら学んだりしていたそうで、原発は原子炉を冷却できなくなったら一番恐いかということを知っていたとのこと。
そんな中、3/11に大地震勃発。地震から3時間後にtwitterで福島原発の電源喪失を知ったときに、即、付近の人たちにも考えられる状況を訴えて、自らも車で妻や小さな子供3人を乗せて西へと避難し、最終的に福井県の永平寺近辺へ逃げたそうです。
しかし、3月末には妻子を福井に残し、また単身で福島に戻り、そこに残っている人たちと活動を共にされはじめました。
メルトダウンした原発の恐さは十二分に知っている。被爆するのは恐い。しかしそこにしか生活の拠点が見出せない人たちと共に生きようとされているのでした。
「今、もし敦賀で原発がメルトダウンしたら、琵琶湖も汚染されますよ。それで京都に住めますか? では京都からどこへ避難しますか?」。
今迄から頭で考えていたわけですが、田中師のお話を聞いて、よりリアリティを帯びてきます。
また、震災以後、マスコミ報道される内容は、20%しか信用できないとおっしゃいます。「ただちに健康に害はありません」。我々も何度も聞かされた言葉ですが、そんなもの大嘘だったのは周知の事実となりました。しかし、その時、実際に福島にいた人たちのことを、遠隔地にいる私たちはどれほど真剣に考えていただろうかと思わずにおられません。

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福井県で母一人とその後に生まれた子も含めた4人の幼い子供との別居生活。遠隔地であるために、やがてその生活も危機的状況になったそうです。「このままでは放射能にやられる前にダメになっちゃうよ」という妻の言葉を受けて、近く、福井から妻子を福島に呼び戻されるようです。
この決断も胸を打ちました。なぜ危険な福島に子供達を呼び戻す? しかし、私より遙かに原発のことを良く知っている、何が恐いかをよく知っている田中師が、悩んで悩んで出された結論がこれです。
家族への危険をある程度覚悟してでも、身をもって共生している人たちと生きていく、お寺を護持していく、そういう覚悟が見てとれました。
住職されている同慶寺は、本堂や庭は檀家さんたちの度重なる清掃によって、いくらかはきれいになったようですが、庫裡は、今や3000匹もいるだろうといわれる大量発生した大きな鼠の巣となっていて、住めない状況だそうです。
皆さんにも、できれば福島にきて、同慶寺だけではなく、そのありさまを見て臭いをかいで、その現実を感じて欲しいとのことでした。そこに住んでいる人たちもいるのです。2~3日ほどの滞在では被爆量は身体に問題ないとのことです。
先般、またもや政権交代した日本。誰もが平和に安全に暮らせる国土にしてほしいと心から感じないではいられません。
最後にもう一つ。田中師は、こんなすばらしいアイディアの復興計画があるので、是非皆さんにもしっておいてもらいたいとおっしゃったものがあります。「いのちを守る森の防波堤」です。