志村ふくみさんの紬の世界を見に、お隣の滋賀へ。>4/8(日)まで
志村さんについては、白洲正子さんの著書の中で知り得てからというもの、「紬」の今までの概念だけに捕らわれないその作風と、染色の「色」の美しさに、頭の片隅に鮮明に記憶されていたのだ。
染め物の色というのはとても繊細で、カラー写真ではなかなかその本当の色を伝える事は難しい。
写真でしか見たことのないその色を、実際に目に出来る機会という事で、楽しみに出かけた。
「何色」というような概念では表現できない、自然から生み出された色に、ため息が出るばかりであった。志村さん曰く「自然から色をいただく」と・・・。
自然からいただいた色をもって、自然の風景などを模した作品には、志村さんの世界観が見えた。
美術館に設置された約40分のビデオ。見る前は「40分か・・・。長いな」と思っていたのだが、見始めたら、志村さんの人としての魅力にひきこまれ、時間はあっという間に過ぎていた。
ビデオの中では、その一言一言が私の心を震わせ、「あぁ、技術が優れているというただそれだけでは、人間国宝とは言えないのだ。その人間性までもが国の宝と思わせる人こそ、値するのだな。本当にこの人は国の宝なのだな」と、今更ながらに強く感じた。最高の技術を持つ人というのは、その精神性が伴ってこそだというのは当たり前なのだが・・・。
「自然と深く関わっていると、思うように色が出ない事もある。こうすればこうなるとはいかない事が多々ある。そして、そこには何かがある。 その奥にある目に見えないものを私は信じます」とおっしゃる志村さんの力強くも、とても優しく美しい表情が印象的であった。
自然への畏敬の念を、お話の随処に感じ取れた。その姿に、精神科医の神谷美恵子さんを重ねた。
また、「機織りと一体になるのです」という言葉に、表千家の堀内宗心宗匠を思った。
宗心宗匠も、平成17年1月10日の京都新聞で、「例えば、この棗でも、それと自分とがまったく別のものではない、一緒に呼吸しているという感じで。お茶も自分が点てんでも茶筅が点ててくれるというか、みんなそれぞれ動いてくれるわけで、その中に自分も入っているわけです」と仰っている。宗心宗匠のお点前をご覧になった方が、後に、「どこまでが手でどこからが茶筅か、わからなかった」と仰った。
どの分野であれ、悟った人というのは、根本的に同じ事をおっしゃるなぁ・・・と凡人はその姿にただただ感心するばかり、何か1つでいいから、この人達から学び取りたいと必死になってしまうのであった。
志村さんの作品「湖上夕照」を思わせる琵琶湖の夕日
滋賀県立近代美術館
滋賀県立近代美術館