安土桃山~江戸時代にかけての歴史に興味があり、茶道をしているのであればなおさら……“五万石の壺”の異名を持つルソン壺、“村雨の壺”を拝見しに、加賀八家(1万石以上の禄高を持つ加賀藩の重臣)筆頭でもある、本多家の蔵品館を訪れました。
加賀本多家の祖である、本多政重(徳川家康の重臣、本多正信の次男)が、主君・前田利長から褒美に下賜されるはずであった五万石を固辞した変わりに拝領したのがこの壺で、このエピソード故に、五万石の壺と呼ばれるようになったそうな。
むむー(これが五万石の壺かぁ……)。フィリピン(ルソン)には行った事がありませんが、以前訪れたミャンマーで、水がめとして村人達が自由に水を飲めるように使われていた壺(甕)や、家の軒先などに置かれていた壺が、まさにこんな感じでした。なんでもなかったであろう壺が、日本の歴史に名を残す武将達の手から手へと渡り、最後には五万石の出世。
壺自身、思いもよらなかったことでしょう。物の“価値”とは面白いものですね。
この本多家の屋敷跡、今は“本多の森”と呼ばれ、下記の施設が点在しています。加賀百万石の地は、前田家のみならず、有力な家老の影響も色濃く現代に残し、住む人、訪れる人々に今なお多大な影響を与えているようです。