『開甘露門の世界 -お盆と彼岸の供養』野口善敬著

 

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故人との距離がぐっと近くなる季節がやって参りました。

餓鬼道に堕ちた者、父母、祖先のみならず、三界万霊、つまりはよろずのものを供養する盂蘭盆会(施餓鬼)。各寺院において、7月15日(または8月)に法要が営まれます。

「他を供養するとは、つまり自身をも救済する事に繋がる……」と、この本に説かれていますが、一体どういう事でしょう?

自他をわけない。全ての存在が、見えはしなくてもお互いに共鳴し、影響しあっている。「自分さえよければ良い」の世界ではない……という事でしょうか。

例えば、「あなたのご先祖様の1人でもいなければ、あなたはここにはいないのだよ」とよく言われます。もちろんその通りです。そしてさらに、そのご先祖様に関係した方が1人いなくても、私達は存在しないかもしれません。自身のわかり得ぬところで、知らない人とのご縁が実は繋がってもいるものです。

あらゆるものを供養する事は、見える物のみならず、見えない物への感謝の心を育む事に繋がり、自身が生かされている事への実感を促します。さらに、開甘露門の中には実際にお釈迦様が弟子(阿難尊者)に向かい、餓鬼道に落ちない方法をも説かれてる場面も出てきます。

私の母などは、もちろん心底供養する気持ちはありながらも、“なんとなく大切な事・毎年の行事”としてお盆やお施餓鬼を迎えていたようですが、最近私が持ち帰ったこの本を読み、きちんとした意味を知り、いたく感動していました。

何故葬式が必要なのか、何故法事ごとが必要なのか、僧侶の皆様にはしっかりと檀家さんや信者さんにその意味や、大切さを説いていただきたいと思います。「当たり前だから」「なんとなくせねばならぬもの」で済まされて来た時代は終わりました。この本は必携です! 本当は全ご寺院にお配りしたいくらいなのです(できませんが)。

もちろん一般の方にも、是非とも亡き人の事を考えるこの時期に、一度手に取ってみていただきたいなと思うわけであります。自身のことで、発見があるかもしれません。

『開甘露門の世界 -お盆と彼岸の供養』 野口善敬著