通り抜け

 

130718.jpg京都では、ごくごく当たり前に、本山の中を近所の人が通り抜けし、立派な伽藍や掃き清められた境内も、生活の中に溶け込んだ一風景となっています。
昨日用事があり、意識して大徳寺を通り抜け。私のお気に入りは大徳僧堂の美しい垣根と僧堂前のこの佇まいです(上写真)。スキッとしています。

先日の学長講座で、円覚寺の管長・横田南嶺老師が、「臨済宗が何か、禅が何かというのはわからないものです。説明のしようが無いもの」というようなお話をされましたが、まさに説明はできなくとも、ここを通れば伝わってくるものがあります。

色々と考えながら自転車をこいでいますと、福森雅武先生が仰っていらした、「意識のないところの学びが一番の学び」という御言葉を思い出しました。

京都外から来て暮らしていると、こんな事(本山通り抜け)が当たり前だなんて信じられない!なんと素晴らしいのだ、羨ましい!京都人はすごい……と色々思うわけでありますが、当の京都人に興奮して話すと、だいたいの人は当たり前の事過ぎて意識はしていないわけであります。そして、彼らの中には、私達新参者にはどうしたって辿り着けないものをまとっている人がいるわけです。

代々の京都人、京都育ちにはかないませんが、それでも、生活してゆくうちに、意識もせずに学ばせていただいているものが、この千年を超える都には多々ある事でしょう。何年住んでいても学ぶ事が無くならない、底知れぬ奥深さを持つ町が、京都なのです。
2~3年住んだだけではわからなかった事が、9年目ともなると少し気づく所も出てきました。さらに住んでいればどうなるか……とまだまだわくわくしつつ毎日を楽しんでいます。

*臨済宗黄檗宗本山を詳しく紹介 本山のことを学ぶなら、『禅の寺』をおすすめします。