先日ご紹介しました、和歌山、紀北 いのりとみのりの旅キャンペーンの一環で、根来寺にて行なわれている、“阿字観”を体験してきました。
阿字観(あじかん)。
耳にされた事はありますか? 簡単に言えば、真言密教における瞑想法です。字のごとく、阿の梵字(大日如来を現わします)を観ながら呼吸を行ないます。
弘法大師空海の詠まれた御歌に、下記があります。
阿字の子が 阿字のふるさと 立ちいでて
また立ち帰る 阿字のふるさと
すなわち、阿字(大日如来)は全ての根源であり、皆ここから生まれ、ここへと返ってゆく、生命の根本であるというわけです(阿吽、オームなども、同じでしょうか)。
大日如来は、宇宙そのものであり、万物の根源であると言われ、よく、曼荼羅でも一番真ん中に描かれていますね。
個人的には、この阿字観によって、自身が宇宙や自然を構成する一部なのであり、そこから断絶されて存在するわけではなく、一体となる感覚(自覚)を得られたならば(阿字と一体になる)、本来の自己というものに気づき、なぜ生まれてきたのか、なにをなすべきかが徐々にわかってゆき、逆らわず、自然と導かれ、よりよく生きる事ができるのでは・・・と思いました(そんなに簡単にはゆかないかもしれませんが、近づいてゆけると思います)。
さて、方法ですが、これはおなじ真言宗でも高野山金剛峯寺の方法と、根来寺の方法とでは少し違いはあるそうで、今回は私が根来寺で体験したものをご説明します。
まず、坐法を教えていただいてから、上写真のように、月の中にある蓮華座の上に描かれた阿字のサンスクリットを観て、数息観(ひとーつ、ふたーつ、、、、と自分の呼吸を数えます)をします。体験では時間が限られている為、とお(十)までを数えました。
次に、阿息観といって、息を吐く時に、「あーーーーーーー」と声を出します。だんだん腹の底(丹田)に力が集中してきて、身体もあたたかく声も大きくなり、息が深くなってゆくのを感じました。これも、十回息を吐きました。
そして最期には何も言葉には出さず、阿字のお軸をみつめながら自身の呼吸に集中します。段階を踏んでゆく方法で、また、みつめる対象物があるというのは、非常に集中しやすいものです。次第に、阿字が浮き上がってくるような感覚を覚え、とても心地よく、短い時間の体験ではもの足りないくらいに思いました。
到達すべき境地は、阿字観も禅宗で行なう坐禅もおそらく同じなのかもしれません。
が、ここでこんな事を書いても良いのでしょうか・・・・・・。阿字観の方が集中しやすく、私には向いている気がしてしましました(すみません)。自分に向いている向いていないは、私も坐禅やヨガの瞑想法を体験しているからこそ比較できるのであって、本を読んでいても体験談を読んでみてもわかりません。
禅宗寺院での坐禅も、阿字観も、実践体験あるのみです!
根来寺では、11月の16、17、24、30日(土曜日曜)の午前10時からと、午後2時からの一時間、一回につき先着20名限定での体験です。もう今年はこれでおしまいですよ!行かれる方は事前にお申込をなさってからご参拝ください。
☆根来寺:0736-62-1144
大事な事をお伝えし忘れておりましたが、この阿字観体験、なんと国宝大塔(上写真です)の中で行なわれます。何度参拝しても見飽きぬあの美しい大塔の外陣にて、諸仏に見守られながら行なう瞑想。こんな有り難い事がありましょうや・・・。
5回体験すると、外陣ではなく、内陣での体験が可能とのことで、真剣に考えてしまいました・・・・・・。