風外慧薫「布袋」:奇品堂蔵
「私にはまだ男としての未来がある」と強く信じた老人は、何十年も連れ添った妻と離婚する。悲嘆に暮れた妻は自殺を計った挙げ句、占い師に心を預ける。夫婦の一人娘はキュレーターとしてギャラリーで働き、売れない作家の夫を養っている。日中暇な夫は、向かいのアパートの若い女性に心を奪われ昼食に誘う。精彩を欠いた夫に不満なキュレーターはギャラリーのボスに惹かれる。老妻と別れた老人は若いコールガールに恋をして妻に迎える・・・
鬼才ウディ・アレン(監督・脚本)の「恋のロンドン狂想曲」(原題:You will meet a tall dark stranger)を観た。陳腐な筋立てなのに、役者も脚本もピカ一だから、面白さは半端ない。大した事件も起こらないのに、本人たちの日々は七転八倒、だれもかれも心のなかは大変だ。ただ、透けて見えるのは、私自身も含めて、世界はこんな人たちで埋まっているんだなということだ。ありそうもないどころか、微に入り細にわたってどこにでもありそうな話なのだ。私たちはこんな日々を大真面目に「生きる」と称して送っている。映画を観て、「なんて愚かな・・・」と笑えるのは、この登場人物たちとの間にちょっとした距離があるからだ。つまりウディ・アレンの眼差しで人物たちを見ることができるからだ。
登場人物の誰もが、辛く、悲しく、切なく、寂しい。躓(つまず)きがあり、衰えがあり、老いがあり、それでもひたすら「愛のようなもの」を追いかけている。
原題のYou will meet a tall dark strangerは、占い師が夫と別れた老婦人に言う言葉。「いつか背の高い黒髪の男に会えますよ」。いつかいい人にきっと巡り会えますよという決まり文句だ。「いつかは・・・」これが万人の希望に繋がる唯一の道だ。
アレンは今年78歳。ヒットを連発した監督の「いつか・・・」とは何だろう。滑稽さと優しさと諧謔が秀逸の会話で綴られる監督の作品に通底するのは、いつだって人間存在の哀しさだ。「人はいつかは死を免れない」。いつか会えるという「背の高い黒髪の男」はもしかしたら「不可避の事実」の暗喩と言えなくもない。
そう思いをめぐらせると、正月に髑髏(されこうべ)を竹棒の先にさして、家々の門口を「ご用心、ご用心」と言って回ったという一休禅師の面白さと、” You will meet a tall dark stranger”とそっと知らせてくれるアレン監督の親切が、綯(な)い交ぜになって、作品のかなたにボオーッと浮かんでくるのである。