皆さん明けましておめでとうございます。
昨年は何かと多難な年でしたが、人々がこぞって大晦日の鐘を聴き、一年の間に溜まった煩悩をすっかり洗い去られたことでしょう。そしてまたお互いに、こうして清々しい気分で新しい歳の出発点に立ちえたことは、まことに貴重な気分刷新の機会ですね。できれば毎日毎日がこのように、「吐故納新」(古いものは吐き捨てて新しいを入れる)の連続であって欲しいものです。
今歳の干支「甲午」(きのえうま)に因んだ禅語を探していましたら、「木馬金梯に上る」(もくばきんていにのぼる)というのがありました。
木で作った馬が、金の梯子を駆け登るということでしょうが、そんなことあり得ないですね。回転木馬のように電気仕掛けでグルグル回るというのなら分かりますが、この木馬はスウェーデンのお土産に貰うような木で作った飾りの馬ですから、動くわけがないのです。
それがこともあろうに、金の梯子を駆け登るというのですからあり得ない話です。金の梯子というのが面白いですね。これが木の梯子だったらまだしも木馬との連想は可能ですが、木と金ではあまりにも異質ですし、だいいち金の梯子などどこにもありません。
よく知られている禅語に「東山、水上を行く」とあるのも同じこと。東山が鴨川を渡るというようなイメージですが、これもまた何のことやらさっぱり見当が付きません。 禅語にはこのように、常識を突破した語がいっぱいあります。
このような禅語を特に、「本分の機語」と言います。本分は悟りの世界で、われわれ凡俗の住む世界ではありません。もちろん禅者といえども、われわれと同じ日常生活を送っています。しかし、かれらは日常生活の底を流れる、もう一つの世界を知っているのです。そして皆にもそういう世界に気づかせてやりたいという慈悲心から、このようにとんでもない言葉をぶっつけてくるのです。
そうです、このような本分の機語はわれわれを焦げ付いた常識から開放しようとする禅者の鉄鎚なのです。固定観念に囚われて窮屈に暮らしているわれわれ凡人の常識を粉砕してやろうというわけです。意味を理解しようとしたら、また新たな鉄槌が下るでしょう。
お正月早々からびっくりするような話になりましたが、少しでも旧年のマンネリズムから脱出するヒントになれば幸いです。今年もまた研究所のホームページをお楽しみくだされば幸いです。