「南木夢」「七生心」とは?! -毒湛和尚語録より-

 

140123.jpg『後醍醐帝笠置山皇居霊夢之圖』(尾形月耕) 
wikipedia“笠置山の戦い”より拝借

毒湛和尚語録からたびたびクイズを出させていただいております。
先日の問題の答えを発表致します!

まさに、南朝の忠臣で、明治になり南朝が正統とされると、「大楠公」と称され、明治十三年には正一位を追贈された【楠木正成】です。

画賛の「南木夢」は、後醍醐天皇が笠置山で、「紫宸殿の庭前と覚えたる地に、大なる常盤木あり。緑の陰茂りて、南へ指したる枝、殊に栄え蔓(はびこ)れり云々」という夢をみて、覚めて、「木に南と書きたるは楠と云う字なり」と悟り、正成を召されたという故事(『太平記』巻三)。

「七生心」は、正成の最期の故事。「正成、座上に居つつ、舎弟の正季に向かって、『抑(そも)そも最期の一念に依って、善悪の生を引くといえり。九界の間に何が御辺の願いなる』と問いければ、正季カラカラと打ち笑うて、『七生まで只だ同じ人間に生まれて、朝敵を滅(ほろ)ぼさばやとこそ存じ候え』と申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、『罪業深き悪念なれ共(ども)、我れも加様(かよう)に思うなり。いざさらば同じく生を替(か)えて此の本懐を達せん』と契(ちぎ)って、兄弟共に差し違えて、同じ枕に臥しにけり」(『太平記』巻十六)。
後世、この誓いは、七生報国の誓いと言われるようになります。

時代錯誤のようにも思われますが、現代人が忘れかけている何かがあるような気がします。
また出題したいと思いますので、どうぞお付合いください。