臨済宗黄檗宗の公式サイト(事務局は禅文化研究所です)、臨黄ネットの今月の法話。
親者不問 問者不親
とうものしたしからず、したしきものはとわず
皆さまはどう思われますか?厳しいでしょうか、それとも、うんうんと頷かれますか?
私は、はっきりと思っていました。
たとえばダライ・ラマ法王や、佐藤初女さんの講演会などへと足を運び、最後に貴重な時間を取って行なわれる質疑応答。なんと愚問の多い事かと・・・・・・。
「講演者の著書を一度でも読んでから来たのだろうか?そこにその答えはあったはずだ」。「まさに今、お話になられた中でその事(質問の答えになること)に触れ、語っておられたではないか・・・」。
講演へと足を運びながら、本気で“聴く”という事ができていないのだと思います。
誰もが直接、あのような方達に話を聴いて欲しいのは共通した願いで思いです。ただ、本当に切羽詰まっている方の為に身を引くという選択もあると思います。自分本位ではなく、万人の為となるような質問であれば、有意義な時間となるでしょう。自分が言っている事を正しいと皆の前で認められたい・・・というような欲が見える質問も目立つのです。
ただし、法王猊下や初女さんともなると、本質を見抜く力をお持ちですので、利己的な質問は軽く流されますし、ご自分でお考えなさいと一掃されます。質問者はがっかりしたような顔になりますが、いつかその意味もわかる時が来るでしょう(来ると思いたいです)。
私の中で色々な名言が印象的な、福森雅武先生(土楽窯7代目)も、「自分の中で8割方答えが出ている事を聴きなさい。そこまで考えて初めて質問しなさい。何も無しにただただ質問するのでないっ!」とある方に言われた事があります。
ハッとさせられました。先生のことばや、この禅語を肝に銘じていたいと思います。