京都御苑の地は、江戸時代には公家の屋敷がひしめき合う公家町であった。東京遷都後、荒れ果てた公家屋敷を取り壊し、周りを石垣土塁で囲って整備され、現在の御苑の姿が定まった。
閑院宮邸跡は、御苑内に残る唯一の公家(親王家)の邸宅である。近年まで環境庁京都御苑管理事務所などとして使用されてきたが、歴史的価値が高いとして修理され、平成18年4月から一般公開されている。
閑院宮家は、東山天皇の子直仁親王に始まる四世襲親王家の一つであり、新井白石の建議によって創設された(他は伏見・桂・有栖川)。親王とは本来天皇の男子の称であるが、中世には特定の宮家に代々親王宣下をすることによって世襲親王家が成立する。閑院宮成立以降、四親王家はあたかも四天王のように天皇家の血筋を守護する役割を果たした。
実際、後桃園天皇が男子のないまま崩御すると、閑院宮典仁親王の子の師仁(兼仁)親王が養子となって皇位を継いだ。これが光格天皇である。それ以来、今上天皇まで代々直系継承が続いている。閑院宮家は、現在の皇室の源流ともいうべき重要な位置を占めるのである。
ちなみに、光格天皇は実父の典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとしたが、松平定信の反対にあって頓挫した。これをきっかけに朝幕関係は悪化、明治維新の遠因ともなった。尊号一件という出来事である。
見ると、江戸時代の建築様式と明治以降の様式が混在しているようだ。これは明治以降この宮邸がたどった歴史を物語っている。きれいに整備された庭園も、落ち着きを取り戻すためには、もう少し時間が必要であろう。
参観は無料、月曜以外は開館しているので散策などには大変都合がよい。