2月にお仕事でお邪魔した際に、次に和歌山におもむく際には必ずや訪れようと思っていた南方熊楠記念館へ。
熊楠先生については、私の父祖の地が田辺市である為に親からたびたび聞かされつつ育ち、幼い頃に記念館に訪れていたものの、田中神社の合祀反対運動についてを知り、いま一度この和歌山が生んだ稀有な存在をみつめたいと思ったわけです。
記念館に入り、なにやら熊楠先生ファンのようなおじさま方が「どんな人、何してた人って聞かれると困っちゃうんだよねぇ」と談笑・・・。確かに、あらゆる分野に精通しすぎていて、彼を一言で説明できるような言葉など存在しません(一応、民俗学者・生物学者となっていますが・・・)。
神社の合祀反対運動にしてもそうですが、もう随分昔から、この世界の自然破壊に警鐘を鳴らし続けていらっしゃいました。一体自然界で何が起きていて、今後どうなってゆくのか、全てを見通していらっしゃったのかもしれません。
粘菌類などの小さな小さな世界をみつつ、広い世界を観ていた熊楠先生。原子力発電について、先生が生きていらっしゃったら何と仰るのか・・・など考えつつ、今後の自然と人間の共存についてのヒントが隠されている気がして、もっと広く熊楠先生についてを世の人々に知ってもらいたいと思った次第です。
昭和4年(1929年)6月1日には、保護に努めた神島(かしま)にて昭和天皇へ粘菌学などを進講、その際に変形菌の標本をキャラメル箱に入れて勧献した事はあまりに有名な話です。
この時の感慨を、熊楠先生は歌に詠んでおられます。
一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめでましし森ぞ
なんと美しい歌でしょう。そして昭和天皇が、昭和37年(1962年)、南紀行幸の折に熊楠を追憶し詠まれた歌が、熊楠記念館に碑となって、日本の、和歌山の生んだ宝ともいえる人物を讃え続けていました。
雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ
熊楠記念館の屋上より