日々の生活で出会った素晴らしい様々な“技”を、季刊『禅文化』にてご紹介しています。 本ブログでもご紹介させていただきます。
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季刊『禅文化』231号より “技を訪う -慈照寺の花(二)湧き水と花畑-”
川辺紀子(禅文化研究所所員)
前号にて、慈照寺の花の大きな特徴でもあり、稽古をする者が花を生けるよりも前に学び、自ら作る大切なものとして、“こみ藁”(藁で作る花留)づくりをお教えいただき、ご紹介した。今回は、花方・珠寳先生の朝の水汲みと花摘みに同行させていただいた。
山水は文化の礎
名水を汲み、同朋衆と共に茶を楽しんだと伝えられる足利義政公。隠居の山荘(のちの慈照寺)を造営するにあたり、〝清らかな水の湧き出る場所〟であることは、必須条件であったに違いない。穢れ多き我を禊ぐのも、うまい茶の一服を点てるのも、草木の生命を養うのも、清らかな水である。京都が千年を超える都として栄え、圧倒的な文化を誇る地として他の追随を許さないのも、山に囲まれた豊富な水源を得て、琵琶湖ほどもある水甕を地下にたたえていることが大きい。
慈照寺境内にある洗月泉
湧き水が小さな滝を作り出し、このあたりの気は誠に清々しい
日本文化の礎である東山文化も、東山から湧き出る清らかな水の存在と密接にかかわる。
慈照寺では、今なおこの水が寺内全体を潤す。境内の花畑から採った花が、仏さまや義政公へ献じられ、玄関を飾るが、すべてこの水が使われる。職員の喉も潤す。今日では特別と思われるようなことが、日々ごく当たり前に行なわれているのである。道理を思えば、同じ土壌で育った花と湧き出た水なので、きわめて自然なことなのであろう。もちろん、慈照寺の花の稽古にも使われている。義政公の時代より、この水はよどむことなく流れ、慈照寺にかかわる者の心身に深く入り込み、日本の文化を根底で支え続けている。
管を通し、蛇口をつけ、山からの水をいつでも汲めるよう工夫されている
花を育てる
珠寳先生が「お花を育てさせてください」と願い出て始まった小さな境内の花畑は、十年近くの歳月を経て、今ではモリアオガエルをはじめ、さまざまな生物の住み処にもなり、自然の豊かさを感じられる一画となっている。元は銀沙灘のための砂置き場で、本来砂地であった場所に土を入れ、花を育て始めたが、「一体どこで育てているの」と言われてしまうほどに花が育たなかったという。それでも山野草のプロの「かならず良い畑になるから我慢しなさい」との言葉を信じ、花を甘やかすことなく、そこに上手く根付くのを待った。本来は水はけの良い土地なので、やがて強い花が育つようになった。今では、山内(慈照寺内)に日々生ける花はほぼまかなえるほどになり、研修道場での稽古にも使われている。
地植えをする前に、鉢植えのままで、山野草がお気に入りの場所を探す。元気が無いと思えば向きを変えたり場所を変える。畑が豊かになるための草花との対話の時間
花畑には真夏でも風の通る道があり、朝日が差し込むのが心地良い。五分といられない日もあるそうだが、それでも朝の掃除後には必ず訪れる。行き詰まったときほど、ここへ来て汗を流す。「ほんとうに助けられました。もちろん今も助けられています」と仰る先生の感慨深げな表情を拝見し、お忙しいのにいつも凜とした雰囲気を持ち、生き生きと楽しげに輝いておられる秘密を垣間見た気がした。清らかな水と畑が常に先生のおそばにあったのだ。
花を摘み、花を生ける
玄関に生ける花を摘む。「主になるものが定まれば、自ずと下草が決まります」と先生は言われる。同じ季節、同じ場所で咲いた花は、先生に摘みとられたとき、すでに生け花の形ができあがっているかのように自然だ。先生は無駄に花を摘まれない。
素人ではなかなかそのようにゆかぬかもしれないが、自然にゆだねるのが一番いいのかもしれない。
先生が摘み、手にした花は、生命を無駄にしない
先日、標高1600メートルの長野の友人宅に滞在した折、朝の散歩でなにげなく摘んだ花の色合いの妙に驚かされた。方々から集められた花が並ぶ花屋で、あれこれ考えて花を選ぶのではない〝自然さ〟がそこにはあった。大自然のなかで過ごしたのはたった二日間だったが、先生がなぜ忙しい合間をぬって自身で花畑を作り、大切に育て、自ら花を摘むのか、松が必要なときには険しい山へ入って自ら枝を選ぶのかがわかった気がした。
賢人は皆、自然から学ぶ。私が尊敬する人々は、仕事や専門分野は違っていても間違いなく自然から何らかの形で大きな学びを得ており、さらに自然そのもののようでもある。取材で先生とご一緒し、その後私自身も大自然のなかへ身を置いたとき、そのことがすとんと腹に落ちた。
先生の新たなご著書『造化自然』(淡交社刊)にも、「花をすることは、自然の摂理へと両足をそろえて飛び込むこととこころえるべし」とあるが、真っ先に、誰よりも深く飛び込んでいらっしゃるのは、まぎれもなく先生ご自身なのだ。
玄関に花を生ける。花は迷いに迷って触り過ぎるのがよくないという
「自然の出生をよく観る」大切さを、珠寳先生はしばしば口にされる。同じ花にも個性があり、よく観てそれらを摘み、生ける(大切に生かし切る)ことで、花の命を昇華させることができる。
私たち自身もまた、そのように花を生けることを通して、自ずと昇華してゆくのではないか。慈照寺の花の稽古は、そのまま仏の道、宇宙の理に適っているように思われるのだ。
珠寳先生の花 慈照寺玄関にて
銀閣 慈照寺 研修道場
慈照寺が、平成23年(2011)年4月に開場。
足利義政公のもとに発展し、日本文化の礎となった東山文化。以来継承され続けて来た茶・花・香を中心に、伝統文化・芸術を護り、伝え、学ぶ場。その活動は国内に留まらず、永い年月をかけて培われてきた素晴らしい禅文化の底力でもって、ことばのみでは伝わりにくい〝禅〟をも海外に向けて発信・普及するに到っている。